私の興味ある、悟りについての話や、スピ系の講演の感想、ヒーリングの体験談などを書いています。
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制限にともなう安心感。自由にともなう責任。
1月末、中華街の易占いに行ってきました!


マドモアゼル愛氏を、美魔女と思っていたくらい、
占いに、あまり興味がなかった私ですが…。

なぜ、わざわざ中華街まで、占いをしに行ったかと言えば、
一万回生きたマナさんが、こう↓絶賛した占いの達人なのです。
■中華街の易のおっちゃん■

で、dekoさんと、daidaitolilyさんと一緒に行ってみたのです。
■daidaitolilyさんのブログ■


占いのおっちゃんは、優しくて、けっして悪いことを言わない人でした。

私にとって、今が一番悪く、
今年いっぱいも最悪という時期(!)
らしいですが、
それでも「一番悪くてこれなら大丈夫!」と言ってくれました、笑

占いって、正確にデータを読み取るのは、もちろん大切でしょうけれど、
それをアウトプットするのに、人柄が非常に大事なんだと思います。
おっちゃんは、人柄のできた人でした。


ところで、易って初めて見たのですが、じゃらじゃらする棒って、
それぞれ、何か書いてあるのかと思ってましたヨ!

でもあれ、みんな同じ箸(?)ですね、びっくり!
でもって、あれで、数を数えてたんですね~。
で、数から、陰か陽かが分かり、
上卦と下卦を割り出してるのかぁ~、へぇ~!(そうじゃない…かも!??)


ちなみに、占いを知らない私が、
なぜ上卦と下卦という言葉を知っているかというと、
以前、気功をちょっぴり習ってたからです。

そこで、風水などで使う八卦盤を見たことがありました。
そこには、八卦のもようが描かれているのです。

あと、占いだけでなく、気功でも陰陽五行は重要でした。

しかし、陰陽五行図という、
アホみたく大量に覚えなくちゃいけない情報
に、
まったくもって私はついてゆけず、やめてしまいました。

だから、占いを学ぶのがものすごく大変なのは知っています。

それを学ぶマナさんとか、
占いのおっちゃんとか、マジそんけーです。
でも、自分で覚えたいとは思いません…てか、出来ないので…。 (T_T)ダー



で、マナさんのブログで紹介された後、
このおっちゃんに、お客さんが殺到したそうです。

そして、そのお客さんたちは、ほとんどが霊感がある人だったらしく…。

「マナさん経由できたお客さんで、
あなたみたいな霊感の無い人はめずらしい」と言われました。

…分かってたけどさ、太鼓判押さなくてもねぇ…(T_T)



さて、そんなおっちゃんですが。

最後に運をよくする方法として、
「不用品を捨てること、
小さくていいから善行を積むこと、
先祖のお墓参りをすること」と私に言いました。

このあたりは、霊感に導かれて言ったというより、
全員に言っているのかな?なんて思っちゃいましたが。(^_^;)

でも、確かに、運がよくなる方法だと思います。


でもね、「善行をする」という言葉に、私は違和感を感じていました。

でね、ああ、これは旧世界の言葉で、
もう「善行をする」という時代じゃないんだ、と感じたのです。

善行という言葉には、分離意識と欠乏意識が感じられます。

「口」に、食べ物を運んだからといって、
「手」は、「口」に対して、善行を行ったと言えるのでしょうか?
「手」は、「口」に褒めてくれと要求するでしょうか?

たぶん、一人一人が全体性を思い出した時、
善行を善行と思わず、
当たり前のこととしてやる時代がくる
のだと思います。


善行という言葉には、
「欲しいものを得るために、したくない何かをしよう」という欠乏感があるように思うのです。
だからこそ、あえて善行を行うのです。

たいして、心から好きでやることは、
結果的に善行であっても、善行とは言いません。

マザーテレサだって、自身では善行をしたとは、思ってないと思うのです。



うおぉう、ここまで書いて、
「制限にともなう安心感。自由にともなう責任」というタイトルが、
まったく説明できていない!

なんとしたこと~(T_T)


ええと…。
私がなぜ、占いに興味がないんだろう、と考えた時、
「ああ、制限されるのが嫌なんだ」
と感じたのです。


今回、おっちゃんから
「今年は非常に悪いから、新しい事をしない方がいい」と言われました。

私は弱いから、その言葉に制限されてしまった。
それが、分かっていたから嫌だったんだなぁ…。


でもね「先が分かると安心」という気持ちも、すごく分かるんですよ。
だから、占いは人気がある。

でも、先が決められているって、制限以外の何物でもない…。



幸せになりたいって、
イコール、自由になりたいって事
でもあるでしょ」と、
以前の講演にて、黒斎さん。

「でもね、僕らは不自由さを生活にもとめている。例えば、善悪の基準を求めるのもそう。」

黒斎さんのブログのコメント欄は、
今でこそ認可制ですが、以前は自由に書ける環境でした。

そこには、当然、言いたい放題の人も出てきます。
すると、今度は「黒斎さん、コメント欄を荒らす人がいるので、
ロックや、言葉に規制をかけて下さい」という人も出てくる。

で、黒斎さんはこう思いました。
どうして、制限を求めるのだろう?

きまりをつくれ、ということは、
「不自由な中で私は行動します」という宣言である。
決まりがあれば、皆が同じ方向に進むしかなくなる。

皆が同じ方向へ進もう、という考え方は、
私たちの社会システムに根強く残っているが、
本来は、別々の事をするために私たちはいる。

なぜなら、私たちは別々の人間だから。
というより、あえて私たちは、今分かれているから。
だからやることも、方向性も違う。

それは人生に使命があって、それをやれということではない。

本来、何をやってもいいという自由が与えられているのにも関わらず、
一つの枠をつくり、それに、はまれば良くて、はずれたらアウトとされてきた。

しかし、もうそれをやめようという時代にだんだんなっていく。

黒斎さんの話はそういう話でした。


結局のところ、私たちは、「知っている」という安心感欲しさに、
制限を根強く求めているのでしょう。

だから、制限を求めていたことに気づいて、
やめる決心をしなければ、本当の意味で自由にはなれない。


実際に、私たちは、占いを超えて、制限を超えて、
本当は自由なのだと知りたいのでしょうか?

それは、結局のところ、つまり…
「自分の人生は、(自由である)自分が選んでいた」
という事になるのです。
喜びも苦しみもすべて。

だからこそ、「これは、自分のせいじゃない」と言いたがる自我には、
自由は受け入れられないのです。

全てが、自分の責任だとは思いたくないから。
常に誰かのせいに、していたいから。

そして、自由を、心底に望んでいないがゆえに、
制限や占いに、効力があるのだと思うのです。



本「ラムサ 真・聖なる予言」で、
ラムサは、占星術にたいして、このように言っています。

占星術を生業としている人たちは、
他人を思いやる美しい存在だし、星を研究するのも素晴らしい事だ、と。
しかし、それをもとに自分の人生を決めるとなると、
その人は、星をつくっている気体にも劣る存在になる。

占星術は、一つのゲームにすぎない。
宗教や、政治や、経済と同じように。

そして、以下のように続けるのです。

自分がこういうゲームをしているとき、
それはもともと誰がつくり出したかを思い出すことです。
そして、自分がそう望んだものに対しては、
ひ弱な存在でいることもできる創造主は、
一瞬のうちに考えを変え、
自分の人生を再び自分の手に取り戻せるのだということも覚えておくことです。
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| | 2013/02/07/Thu 00:01 [編集]
そうそう、
自由になりたいと思いつつ、不自由に甘んじているのは、自由に伴う覚悟ができないんだよね~^^;

で、覚悟ってのは自分の人生を自分で創造するっていうコミットメントなんだろうなって思います。
kuniko | URL | 2013/02/08/Fri 06:53 [編集]
コメント非公開さんへ
アンマって本書いてるんですね〜。
何年も前に、仕事場の近くに来たとき、
人が勧めてくれて、一回だけ見に行ったことがあります。
で、ハグされて、感動した訳でもないのに(だって知らない人だったし)、
涙が一粒こぼれて、びびったというか、恥ずかしくなりました。
あれはエネルギーワークなんですかね?
よっし~ | URL | 2013/02/09/Sat 00:37 [編集]
Re: そうそう、
ほんとうだよね!
私も、自由になりたいとずっと思っていたけれど、
変化を嫌ってた時点で、
自由なんか求めて無いのかも、と思い至りました…。

本当は、自由を阻む一番の敵は、
自分なのかもしれないよね…。

無意識に、未知のものや変化に対して、抵抗してるの〜(^_^;)
よっし~ | URL | 2013/02/09/Sat 00:45 [編集]

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