私の興味ある、悟りについての話や、スピ系の講演の感想、ヒーリングの体験談などを書いています。
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アイデンティティーという相対性


先日、友人たちと友人宅で忘年会をやりましたー。(*^_^*)

その友人たちは、みな、
エネルギー的に敏感な感覚の人たちばかり。

そのなかでは、私が一番鈍いです。
というのも、石や場のエネルギーが読めないのは私だけでして。(^_^;)

まぁ、エネルギーが読めないというのは
一般的にみたら、普通ですけれどもね…。



そしてまた、友人たちは、私と同じく石好きです。

ただ、彼女たちの石への情熱は凄く、
それから比べると、私なんか、
お世辞にも石好きとは呼べないほどです。

もちろん、私も沢山の石を持っている以上、
普通の人からみたら、立派に石好きなのかもしれませんが…。


……。
ああ、なるほど!

自分が何者であるか、自分は何なのかって定義できるのは、
周りと比べてこそ、なんですね。

超感覚のない私は、
一般的な人から見たら、もちろん普通の人です。

なのに、エネルギーに敏感な人たちのグループに入れば、
とたんに鈍感な人になるというわけ。

私が、石好きと定義できるかどうかだって、
周囲の環境で変わってしまいます。

違う例えでいうと、
私が女だというアイデンティティーが持てるのも、
この世に男性がいる事を知っているから、とも言えます。



そうか、そうなんだー!

自分が、何者かなのかを定義できるのは、
周りの状況による。
それは、流動的で、一時的なものにすぎない…。

だからもし、皆さんも、
誰かから、馬鹿だの何だのって、
ネガティブな定義付けをされても、鵜呑みにしなくていいです。

あくまで、それは、相対的な評価にすぎないから。
ところ変われば、評価も逆になるから。



流動的で一時的なもの、相対性。
でも、そんな、たやすく揺らぐものに、
現代人は「自分とは何か」という確固たるものを
求めてしまうんですよね。

だから相対性(誰かより優れること)に、
夢中になり、それを得ることに人生の大半を費やしてしまう。

それは「有能な自分」だったり、
「高収入の自分」「美しい自分」「良い家族をもつ自分」
「お金を持っている自分」等々といった、アイデンティティーです。

本当はそれらは、
「生きることが容易になる」から、
あったら便利くらいのもののはず、なんです。

「安心して生きること」が本当の目的で、
「優れること(持つこと)」は、あくまでも、
生きることが楽になるためのスキル、手段にすぎません。

そんな手段を、目的にしちゃうから、
人生を楽しめなくなるんです。

富める者は、さらに持つために、さらに早く走り回るだけで、
「人生を生きていない」し、
持たないものは「生きること(単純な生存)」で一杯いっぱい。

つまり、どちらも目的(安心して生きること、生を味わうこと)を
果たしていない!

もし、全人類が「単に生きること」を最重要視するならば、
全人類が、安心して生きられる豊かさが、地上にあるはずだと思うのです。



人より優れること、持つことに躍起で、
搾取することばかりに目がゆく、持てる人々。

こんな風に、私たちは、
より優れたアイデンティティーを求めて、走り回っています。

誰かを物理的、エネルギー的に搾取したり、貶めたりして、
自分が相対的に優位に立つことで、それを得ようとします。

しかし、それらが手に入っても
人生が必ずしも、生きやすくなるわけではありません。
(自我は、それを決して認めないでしょうが。)

なぜなら、飛び抜けすぎても、人から理解されなくなるから。

飛び抜けて賢すぎると、周りから奇人扱いされるように。
あまりに美人すぎると、高嶺の花と敬遠されるように…。
お金持ちすぎると、周りから妬まれてしまうように……。

手段はあくまで手段。
手段にことさら特化しても、安心して生きるという、
目的が満たされる訳ではありません。



全ての人の、そして生きとし生けるもの全てに、
「安心して生きる」というニーズが満たされますように。

富めるものも、貧しきものも、
誰もが、究極的には、それだけを追い求めているのですから…。



本日は50位でした、皆さま、いつも有難うございます!(*^_^*)
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