私の興味ある、悟りについての話や、スピ系の講演の感想、ヒーリングの体験談などを書いています。
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前回の補足…一元論って現実逃避?


自分でも出来ていないのに、
ブログで分かったようなことを書いていいのかな、ってときどき考えます。

も、もしね…。
よっし〜を買いかぶっていらっしゃる方がいらしたら、
本当にごめんなさい!

今日もね、安保法案の可決の様子をテレビで見ていて、
感情ドラマに巻き込まれた訳ですけど…。

私は、戦争も嫌だし、
庶民にとって、生きるのが辛い世の中になって欲しくない。

それはなにより、自分の生存が大切だからです。
だから、それを脅かす活動をする人たちを見ると、怒りが起きるのです。

悟り体験をした人から見たら、
芯が出来てないんだろうと思います。

真理を体感してないっていうのは、
こういう所に現れるんだろうな…。
ついつい、二元論の愛憎ドラマに、はまってしまう。


さて、以下の記事は、安保法案の実況を見る前に、書いていたのですが…。
もしよければ、偉そうな記事を読んで下さい、汗汗

いくら真理が一元論にあると知っていても、
それを体感して生きるっていうのは、別の話だとわかります。
(おおう、意図せず反面教師だぁ…(^_^;) )


〜・〜・〜・〜


スピリチュアルに詳しい翻訳家さんが、
黒斎さんのことを、こう語ったそうで。

黒斎さんのいう事はわかるけれどロマンがない、と。

そうだよねー。
頑張って魂磨いて次は良いところへ、という考えからすると、
一元論は理不尽で、理解しがたいよね……(~_~;)


それはまぁ、さておき。

前回の記事は(…も? (^_^;)ゞ )
面白くなかったんじゃないかなーと思います、汗。

というのも、私が阿部さんに対して
はっきりジャッジすることを期待した方も、
いらっしゃるかもと思いまして…。

現実問題にきっちり白黒つけず、一元論を持ち出す人って、
結局、現実逃避で話を濁すだけじゃん、って思うかも…。

でも、そう思われるのもしゃくかなぁ、と。

でもまぁ……
合ってますけどね!!
(↑ヲイ、合ってんのかよ!)

というのも、これは人間が昔からやっているアプローチじゃないから。

昔からのやり方とは、行動で現実を変えようとし、
その結果に満足しようとするものです。

対して、一元論は、そもそも(マインドが)満足するなんて無いし、
その苦の根本原因であるマインドを、消してしまおうという事なんです。

いや、この説明も二元論的ですね…。
そうでなく、マインドさえ無かったことに気づくという、
般若心経みたいな世界なんです。


さて、二元論の世界からみれば、
一元論は、法則が全く違うので対立する世界に見えます。

でも、私は同時に存在しうると思います。


(一元論からすると、二元論の世界は「無」です。
しかし現世を生きる私たちにとっては、その前提では、話さえ出来なくなってしまうので、
今は、二元論世界が「有る」とします。)



例えば、古典的なニュートン力学と、
最新の量子力学のことを考えてみてください。

全く法則が違う世界なのに、同時に有り、補足しあっています。

素粒子が瞬間移動をし、時間でさえも遡るとされる量子力学。
古典的なニュートン力学から見たら、全くナンセンスな話ですが、
それがニュートン力学を支えています。

だから、一元論の世界が二元論世界を支えていたとしても、
おかしくないのかもしれません。

といっても、二元論の世界で一元論を語ろうとすると
限りなく胡散臭くなる
んですけどね…(^_^;)



一元論は怪しくて、世間の考えとはズレるし、
現実逃避に見える…。

それなのに、なぜ惹かれるんだろう、
と自分でも時々思います。

ロマンも、夢も希望も救いもないし、良いとこなし。

でも…。

この世に理不尽さを感じる人なら、
そして、この世の堂々巡りに飽き飽きしてしまったなら、
やっぱり、本当のことが知りたいと思うのかもしれません。




さて、話を戻して、私が阿部さんを批評しない理由を書きますね。

私が、阿部さんであれ、誰であれ、
批評したくない理由は、二つあります。

一つは、私が、他人を客観的かつ、
正確に判断することが不可能
だということ。

私の持つエゴという、コロコロ変わる視点からでは、
自分自身さえ正確に知ることが出来ません。
ましてや、他人のことなら、なおさらですよね。
それに加え、時間の経過で、自身や対象者も変わりますから、
正確に知ることは、よけい不可能になります。

そして、二つ目の理由は、
批評して敵対する行為が
自分のエゴを肥大化させてしまう事
です。



正義、愛、宗教、スピリチュアルという名の下に、
反対勢力(と思われるもの)に対して、戦っている人は多いです。

むろん、これは神聖さや愛に基づくものではなく、
誰もがやりがちな、世俗的な行為にすぎません。

これは、エゴがエゴを強化する自然な行為であって、
それゆえに、排他的で思いやりに欠けています。


もちろん、それすらも悪と決めつける事なく、
単にエゴの特性であるとだけ、気づいて下さいね。

反対のものを対峙させることで、もう片方を際立たせる行為。
光を濃くすることで、闇を濃くする。
他人に闇を見れば、自分が光であると自惚れ、
逆に他人に光を見れば、闇である自分を卑下せざる負えない…

エゴには、単にそんな性質があるのです。



出来うるなら、私は世間の騒音のなかにいても、
揺るぎない静寂が欲しいと思っています。

何がおこるか分からない世の中で、
揺るぎのない安心感が欲しい。
(いろいろ考えましたが、これは二元論では手に入らない。)

そんな私にとって、
誰かの間違いを指摘し、批判する行為は、
騒音の中で、さらに騒音を付け加えるだけの行動に思えます。
だから、なるべく避けたいのです。

(もちろん、私は聖人君子じゃないので、他人の不満をボロボロ言ってますが…(^_^;)
ただ、それが正確な判断で無いだろうことは、何となく気づいてはいます。)



表面上で捉えると、一元論ってそんな危うい感じです♪

いやいや、よっし~の理解と表現が幼稚なだけですけどー!!

それに、一元論が根元だとしても、
この世を生きるのは、もちろん、
二元論をベースにしなくてはいけません。


だから、結局は、各自が考えて、
自分に納得のゆく好みの世界観を
目指せばいいのかなって思います。
つまり、この世界を楽しむってことですね。

だから、ごちゃごちゃ考えているよっし〜は、
ほぼ、なんの役にも立たない事をしている訳です、汗汗。



本日は45位でした、読んでくださる皆さま、本当に有難うございます♪( ´ ▽ ` )

にしても、安保法案の是非はさておき、
法案の通し方が、あまりにも、どさくさに紛れてましたねー。
支持されてない事を知っているからこその、あんな卑怯な感じなんだろうな…。
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