私の興味ある、悟りについての話や、スピ系の講演の感想、ヒーリングの体験談などを書いています。
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ドラマから離れる〜主導権を取り戻す


聞くところによると、
阿部さんや、フルフィルメント瞑想が批判されているようです。

ずっと阿部さんの講演やブログも見てないので、
詳しくは知らないのですが…。

まぁ、大金を取るなんて、スピリチュアルじゃないとか、
偽物だということらしいです。

私は、単に興味が薄れたので離れているものの、
かつて瞑想伝授も受けているし、
阿部さんにも、特に悪印象はありません。

だから弁護を、という訳ではないのですが…。

エゴの反応としては、わかるなーという感じだし、
また前回の補足にもなるので、これについて書こうと思います。



「萌え」や「飢え」があるとき、
それを満たすために、人はお金を使ったりします。

スピリチュアルのセッションでも、瞑想伝授でも、
スピじゃない商品でもブランド品でも、なんでもいいです。

で、お金を使っても、そのニーズが満たされない場合、
支払った相手に対して、騙されたとなります。

(モノに関しては、よっぽどの粗悪品でなけれれば、
騙されたとはならないでしょうが。)

当たり前ですよね、払ったのが大金であればあるほど、
期待が裏切られたら、大きく恨みます。

そして、身の丈以上の大金を払うときには、
自分に足りないものがあり、
どうしても必要だと信じることが必要
です。

でなければ、購入しませんものね。


また、萌えとは想像上の快感です。
ネガポジを切り離せない現実から、
思考によって、ポジティブ面のみ切り離せると信じる行為です。

つまり萌えは、思考だけに存在しうるものだから、
現実では得られません。
それで騙されたと感じたりします。

スピリチュアルは、
目に見えないモノが商品だったりするので、
胡散臭さ倍増であり、
なおかつ萌え度もマックスです、笑。


例えば悟り。

なんか凄くね!感がマックスです、笑
これがあれば、これから先、良いことばかり起きそうです、
人格も、すんばらしく良くなれそうです!

これこそあり得ない「萌え」なんですけれどね。(^_^;)

そんなすんごい感のある悟りですが、
実は、重要度は二次的なものです。
実際には「生きる、存在する」ことが土台であり、
本当に大事なことなのです。


今も昔もそこにあり、
自身と切り離せないものこそ、実在です。

(その実在が、悟りと定義するなら話は変わるかもですが)

得るもの、成長するものは、
変化するものであり、時間の範囲にあります。
移ろうものは幻想であり、本来「遊び」の部分です。
ここに深刻になりすぎると失望します。

だから、騙されたくなければ、
遊びや好奇心、行為そのものを目的にすることです。

それならば、大金を払っても後悔することはありません。

もっとも、遊びとわかっていたら、
身の丈以上の大金を払うことも無くなるので、
そこのところは、ちょっと皮肉ですけれども…。



裏切られたと思ったときこそ、
自身を知る絶好の機会です。

「騙された、苦痛だ」で、止まらないでください。
その状況が教えてくれる最善のことを、受け取ってください。

自分が何を望んでいたかを、自分とは何者なのかを。
また、お金に対して、どのように感じているのかを。
自分は、何が足りないと思うのかを。


足りないものは、もしかして、悟りとか真実?

ただ、あなたはそれを得ていない(と信じている)今も、
生きていて、存在しているのです。

今、呼吸に意識を向けてください。
すると「命、ただ在る、静寂」という、
精神世界が指し示す
最骨頂の境地に「居る」ことに気づきます。



しかし、こうでなければ、という思考が視野を狭めます。

ディズニーランドに行きたいと思っていて、
USJに連れて行かれたら、裏切られたと思うでしょう?

どちらが悪いという訳ではありません。
こうでなければという期待が、失望を招くのです。

スピリチュアルにおいても、神、悟り、聖者などに対して
十人十色のイメージがあると思います。

各自が、自分のイメージ通りのものが得られると期待して、
大金を払えば、そうでない場合に裏切られたと思うものです。

でも、その予想や期待こそ、自分が作ったものなのです。



さて。

誰かを偽物と叩いたり戦うとき、
どこかに本物や正しさが「ある」はずだと、必ず思っています。

しかし、よく考えてみると、
本物の基準すらあいまいです。
だから、つねに揺れ動き、誰かを批判しています。

まず、自分の土台をしっかりさせれば良いのです。
定まった視点から、物事をみて下さい。

それは、自身の奥にある「静寂、命、在る」という
存在そのものからです。

そこから見て、好みのものじゃないものが見えたら、
単に離れればいいのです。

間違っている(と思っている)事へ、戦いを挑むことからは、
欲しいものは得られません。

(しかし、エゴ視点からいうと、まさにそこから望みのものを得ています。
エゴはドラマにリアリティーを持たせ、のめり込むことが目的なのです。)

何かを叩くことで、ドラマが生まれ、
抜けに抜けられないリアリティーが発生します。


戦いはドラマを華やかにします。
生き生きとした躍動感と、生きている実感が生まれます。
小さな物語が、壮大なストーリーへと仕上がります。
悪役が大きければ大きいほど、ドラマティックになり、
物語に埋没できます。

埋没する…しかしそれは、自分を見失うことです。

自分が失われると、
現実を冷静に判断することが出来なくなります。

例えば、ある国では、政府が自国民からの批難の矛先をそらそうと、
日本への敵対心を植え付けています。
その国民は、自国の政府へ向けるべき不満を、
日本に対する怒りに向けます。

その行為からでは、何も解決しないにも関わらず…。

しかし、それが気づけないほど、人々は盲目です。
ドラマはハマると、視野が狭まってしまうのです。



エゴの望みは、ドラマを長引かせることであり、堂々巡りそのものです。

あれが正しい、これが正しいと飛びついているのはまるで、
回しぐるまの中で走っているコマネズミみたいです。
時には右回転をし、時には間違ったと感じて、逆回転に回ってみます。

しかしどっちにしても、
心が忙しく、視点も定まらないために、
どこが目的地かさえ気づけません。

もし、少しでも外に出れたなら、
回しぐるまの状況を見て取ることができます。

そしてそれは、悲しいかな、
どこにも向っていない事に気づくのです。


敵を代えつつも、ずっと戦っているマインドを冷静に見ましょう。
それは、まさしくエゴがそうしていたがっているからですが、
そのエゴにも敵対せずに、客観的に見ましょう。

時間の中では、すべてが変化します。
時には、あなたは誰かの意見を神のように祭り上げます。
そして、時には、同じ人に戦いを挑みます。
(それは、時とともに自分が変わるからでも、相手が変わるからでもあります。)

そのような繰り返しを、
ただ在るという、変化しない静寂から見守って下さい。

静かな中心から「萌え」や「欠乏」を見つめてください。

全てが、遊びと分かっていれば、あなたは裏切られません。
人生の主導権は自分のものとなり、
堂々巡りの回しぐるまさえ、楽しめるようになるのです。



本日は47位でした、読んでくださる皆様、有難うございます。
なんか、今回小難しいことばっかりですね、すみません〜(>_<)
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