私の興味ある、悟りについての話や、スピ系の講演の感想、ヒーリングの体験談などを書いています。
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創造の起点、ゼロ その1


なぜ、引き寄せの法則があるのに、
人生は思い通りにならないんだろうと
思ったことはありませんか?

もしくは、やりたい事がやれない、
やめたい事がやれない、という経験は?

もし、この世が本当に幻想ならば、
いろんなことも、一瞬で変えられるはずですよね。

でも、やっぱり出来ない!!(>_<)

何でですかね?
考えてみたのですが…。

それってひょっとして、
私たちが創造の起点である「ゼロポイント、今ここ」に
居ないことが原因かも、と思うのです。



以前、講演に行ってから、
牧野内大史さんのメルマガが時々来ます。

ある時、そのメールに、興味深い記事がありました。

牧野内 大史 ★セルフイメージは、ゼロ。

要約すると…

もし、自分の中心に、他人の基準を据えていれば
欠乏感に基づいて生きることになる。

逆に、自分をゼロ(中心)に据えることで、
自分らしい生き方と、創造の中心にいることが出来る。

たぶん、そういう内容かなと思います。
(間違っていたらごめんなさい。)

なるほどー。
ゼロポイントから出発しないと、望み通りの現実創造が出来ない…。
それはたぶんその通りだろう、と思うのです。



私を含む、大抵の人たちは、
望みのままの現実が創造できていません。
(少なくとも顕在意識では、そう思っています。)

なぜそうかというと、
私たち(自我)が「ゼロ」に居ないだけでなく、
それに反発しているせいではと思うのです。


例えば「ゼロ、無」と聞いた時、
どんなイメージを抱きますか。

あまり良いイメージは無いのではないでしょうか。

というのも、私(自我)は、
ゼロの真逆である「所有」で成り立っているからなんです。

自我は、概念や特徴といった情報の集まりです。
それで定義付けすることで、「私」という自我が存在しています。

自我を具体的に言うなら、
年齢や性別、性格や外見、職業、特技、財産や持ち物、
(中には前世のアイデンティティーという方もいるでしょう)などなど…です。

そして、それらはいずれも「過去」に由来しています。


つまり「無、ゼロ」や「今ここ」は「自我」と反対のもの…
だからこそ、この二つは相入れません。

そして、本当に自由な現実創造をしたければ、
「ゼロ、今ここ」を起点にしなくてはいけません。

自我を持ったままでは、制限が大きすぎるからです。

例えば、絵を描きたいとします。

しかしそのキャンパスが、
固定観念や常識といった、
分厚い濃い色で塗りつぶされていたら、どうでしょう?

綺麗な色を塗っても、
思い通りの絵に仕上がらないのではないでしょうか。

なぜなら、いくら綺麗な色を使っても、
下の色がにじんでくるからです。

でも、ゼロポイント…真っ白なキャンパスなら、
思い通りの色で描けます。

つまり、常識や固定観念が少なければ少ないほど、
人は自由に動けるのです。

「自我」自体が制限であり、過去なんです。
もちろん、そこから創造することもできますが、
それは必ず過去を引きずったものです。

自分(自我)が引き寄せをやろうとしても、
固定観念や常識に縛られ、
上手くゆかないのは、そのためなのでしょう。

それとは逆に、
イエスが水をぶどう酒に変え、湖の上を歩けたのは、
彼が制限のない世界に住んでいたからです。

彼は、そもそも「制限のある人間」としての
アイデンティティーがありませんでした。

そして、もしかしたら、私たちも…。
イエスが言うように、からし種ほどの信仰があれば、
(自分には出来ない、という制限が無ければ)
命じるだけで、山を動かせるのかもしれません。

しかし、問題は、
私たち(自我)はそれを望んでいない、ということです。

ぶっちゃけ、「ゼロ、今ここ」が好きでないし、
望んですらいない、ということです。

長くなったので続きます〜。



本日は67位でした♪
拍手と応援、いつも有難うございます!\(^o^)/

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