私の興味ある、悟りについての話や、スピ系の講演の感想、ヒーリングの体験談などを書いています。
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創造の起点、ゼロ その2


なかなか書けず、更新が遅くなりまして、すみませぬ〜汗汗
あーんど、前回の記事を、間違って消しちゃいました、がーん!

幸い、メモ帳ソフトに残っていたので、もう一度アップします〜。
ただ、文字の大きさ変化や、拍手数などは消えます、
拍手してくださった方ごめんなさい!!

ではでは、気を取り直して、前回の続きです。



イエスの言うように、からし種ほどの信仰があれば、
命じるだけで、山を動かせるのかもしれません。

しかし、問題は、
私たち(自我)はそれを望んでいないかもしれないこと…。

ぶっちゃけ、無限の可能性を秘めた
「ゼロ、今ここ」を嫌っている為に、
私たちには、奇跡が起こせないのかもしれません。




自我って、制限が好きだ!
ネットのマンガを読んでいて、そう思ったことがあります。

たとえば、ネットの無料マンガは、
商業誌などに比べて、様々なクオリティが混在しています。

つまり、それほど面白くないマンガもある。

それは、単に個人の好みを言っているのではなく、
人を引き込む力があるか、ないかという差です。

その差って何だろう、そう考えていて思いました。
ひょっとして、そのキャラクターを愛せるかどうか、かもしれない。

たとえば、世界観もそうですが、
キャラクターが生き生きした存在か、
現実味のない曖昧な性格か…
ここが重要のように思うのです。

人物設定の弱いマンガは
ストーリーが凝っていても、面白くありません。
登場人物につかみどころがなければ、感情移入できないからです。

対して、ストーリーが平凡でも、
キャラが魅力的だとそれだけで楽しめます。
キャラの感動が伝わってくるからです。


私は、自我が定まったキャラが好きで、
あやふやなキャラには、魅力を感じない!


そう思ったとき、
いまここ、ゼロポイントに居れない理由に気づきました。

私自身も、無個性でいたくない!
誰でもない自分になりたくない!
誰かと違う自分でいたい!


もちろん、個性的であることは悪いことではありません。

しかし、問題は「個性、常識」といった
過去の制限を受けているうちは、
自由な現実創造はできない、
ということなのです。

マンガで例えると、個性的なキャラクターほど、
「こんな時はああ言いそう、こう行動しそう」といった、
予測可能な行動に縛られます。

それに反して、作者が無理やり「らしくない行動」や
世界観に外れた行動を、そのキャラにさせたとしたら、
とたんに、ファンは怒りだすことでしょう。

入り込んでいた物語から、目が覚めてしまうからです。

自我から創造するということは、そういうことです。
個性と常識のせまい枠内で、
起こせる創造
なのです。


対して、魅力的でない人物…
つまり、キャラが固定されていない人物なら、
設定があやふやな分、行動に制限がありません。

「キャラ設定がない、誰でもない」というのは、
「限りなく自由」という事
でもあるのです。

イエスは、そういう意味で
「自分はイエスというキャラ」でないことを知っていました。

自分はこの世に属さない存在だと自覚していたからこそ、
奇跡を行えたのでしょう。


さて、「今ここ」にいるとき、自我がなくなります。

今この瞬間においては、
過去が参照されないために、誰でもなくなるのです。

それはつまり、夕日に見とれて、
無言になっているような時です。

もしくは、何かに夢中になって没頭している時。

そんな時は「自分が誰か」など、気にも留めません。

このように、我を忘れた時…

もしかしたら、私たちも、無意識に、
あらゆる制限が外れて、
自由な現実創造をしているのかもしれません。


しかし、もしそれを自覚して起こそうとするなら…。

それには「誰でもない自分」という
自我が最も忌むべきもの、
自我の幻想性(死)に気づく必要があると思うのです。



とはいえ、自我から物事を捉えないって、本当に難しいですね!
私自身、ぜんぜん出来ていません。(>_<)
でも偉そうなことを書いた手前、日々頑張りたいです。

本日は104位でした、拍手と応援有難うございます♪
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