私の興味ある、悟りについての話や、スピ系の講演の感想、ヒーリングの体験談などを書いています。
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お金と苦しみ4
air_rank[1]

ちょっと前の記事、「お金と苦しみ 2」からの流れなので、
その時の記事を一部、引用しますね。

引用〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

さて、先月の「月イチ☆」で、
「好きなことをして稼ぎたいのですが、
好きなことが何か、どうやって稼げるかわかりません」
という質問が、観衆からあがりました。

それに対して、黒斎さんは、こう言いました。
稼ぐという感覚を脇に置きましょう、と。

「稼ぐというのは、自分が何かをするという感覚です。
お金は、自分が苦労して持ってくる、という感覚。

しかし、自分の好きなことをしてお金を得ているひとは、
稼ぐという感覚が希薄です。

つまり、お金にたいする観念が違うんです。
お金はいただいているもの、という感覚なんです。


かつて、僕にとってお金は、ストレスの対価だったんです。
で、苦労して稼いだものだから、他人に支払うのも嫌だった。

そして、給料ももっと欲しかったけれど、
「お金=ストレスの対価」だから、
もっとヘロヘロになるまで頑張って、
それを、会社のみんなにアピールしていたんです。

もっとお金を貰うためには、
もっともっと頑張らなきゃ、
もっと、ストレスを溜め込まなくては!

もちろん、お金持ちに対しても肯定的じゃありませんでした。
だって、お金は苦労の対価なのに、
彼らは、苦労もせずに、お金を持っていますからね。

でも、もちろん、すごく苦労したお金持ちなら、
認められるし、尊敬できるんです。」


引用終わり〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

上記のように、
お金はストレス、苦痛の対価であった、と黒斎さん。

しかし、新しい時代になると、
お金に対する、私たちの考え方が変わるというのです。

スマホで、通信の規格3Gから、LTEへ移行し、
通信速度が増したように。
お金の価値観だって、
3GからLTEに変わるのだと、黒斎さんは言うのです。

今までお金に対して持っていた価値観は、
3G(義務、犠牲、我慢)でした。
それが、これからは、
LTE(Love Thanks Enjoy)になると言うのです。


「以前は、お金は僕が苦労して稼いでいるという、
家族に対してふんぞりかえった姿勢でした。
稼ぐというのは、自分の嫌なことをして、もらうお駄賃だったんです。

お金とは、自分が痛い思いをした証拠のもの。
だから、そう簡単には渡せないし、がめつくなる。」



もちろん、お金=苦痛の対価、というのは、
黒斎さんだけの考え方ではありません。

幸い黒斎さんは、あまり言われないそうですが、
同じような仕事をしている人たちが、
必ずもらう意見で、こういうものがあるそうです。

「神様のメッセージを発信して、
世の中を良くしようとしている人が、金をせしめるって何なんですか、
なんで無償でやらないんですか」


これは、「お金」=「苦痛」という発想があってこそのもの。
良いことをするのに、
人々の苦痛を要求するとは何事か、
という訳です。
ここには、お金は感謝である、という発想が欠けています。


それと、これは黒斎さんが言っていた事ではないですが。
お金を稼ぐ=自らの苦しみ、なのだから、
他人の苦しみも、仕方ないと思うようになります。
こうして、自他に対する苦しみが
正当化され、蔓延する
世の中になるのです。



でも、お金って、本当に苦痛の対価にすぎないんでしょうか?

会社員だったときの黒斎さんは、
もっと給料が欲しいなら、もっと苦しまなければいけない、
と無意識に思っていました。
自分がもっと苦しめば、もっとお金が貰えるんですね、
じゃあもっと、苦労しましょう、と。

「そういう思考でいるから、
自分が物を買う時にも、
『あなた、それに対してどれだけ苦労して作ったの?』って
買う物に対して、無意識に換算していたんです。

原価や原材料、技がどうか、ではなく、
『あなた、それをどれだけ苦労して、誠実にそれを作ったの?』とジャッジしていた。

で、同じ金額なら、苦労なしに作れたものなら高い、
逆に、すごく苦労して作ったものなら安いと、判断していたんです。

安いとは、つまりそんなに苦労しているのに、
その金額でいいんですか、っていう事です。

しかし、『安い感覚』をよく見てみると、
そこには感謝が含まれています。
つまり『こんなに苦労したものを、
こんな金額でいいんですか?』と思う事には、どこかに感謝がある。」


そして、会社と社員の関係にしても、それは当てはまります。

苦しめば給料が上がるんだ、と社員が思っていたとしても、
支払う側、会社からすれば、
社員が苦しんだから、じゃあお給料を上げましょう、にはなりません。

「実際には、働いて成果をあげてくれて有難う、が給料です。
つまり、ここでも、お金の本来の働きは『感謝』ではないか。

ならば、その『感謝』だけでいいのではないか。
いままで、無意識に相手に対して要求していた、
『苦痛や苦労』は不必要なのではないか。」



さて、あらゆる仕事、サービス。
それらは全て代行業ということに、気づいたといいます。

「それらは、自分がやってもいい仕事なんだよな、と。
野菜を食べたければ、野菜を育てればいい、
家が欲しければ、家を建てればいい。

でも、自分がやれないことはないけれど、
もっと上手に出来る人がいるなら、その人に任せた方がいい。
そういう意味で、全部の仕事って代行業なんだ。

で、その代行業をやってもらうんだったら、
代わりに、純粋な「有難う」を渡せばいいんだ。」
(「自分の苦しみ」としてのお金を渡すのではなく。
そして「相手の苦痛」としての作業を要求するのでもなく)


「そうすると、すごくね、
お金が回るって感覚が体感としてわかるようになったんです。
ああ、お金とは、本当に有難うだったのかもしれない。
それとね、応援なんだと。

それは、寄付などの可哀想という感覚ではなく、
頑張って下さい、という気持ちです。

今までは、「君の苦労に有難う(無意識に、相手に苦労を要求している)」でしたが、
そうではなく、純粋に応援と感謝の気持ちで、
お金を使うようになったら、とても気持ちいいんです。

そして、そういう心構えでいると、
お金の必要性もだんだん無くなっていくんです。

今までは、お金がないとあれが出来ない、
これが出来ない、と思っていました。

でも、お金は単純に感謝の気持ちにすぎない、と分かったら、
最悪、お金を払うことが出来なくても、
お金以外で感謝を示せばいいんだ、ということに気づいたんです。

それに、そこまでして欲しいものは、どれほどの物だろうと思ったら、
がめつくならない自分も生まれました。

そして、お金=有難う、になったとき、
どこで何を買うかも、はっきりしてきたんです。

物をどこで、何を買うかも、有難うに繋がってゆく。

つまり、物を買うというのは、その企業や人に、
感謝とともに、あなたの活動をこれからも続けて欲しいです、ということ。

もし、その人のやっていることに対して、
単純に感謝できないなら、購買に繋がりません。
応援しないということです。

感謝できる人へは、応援する気持ちとお金がゆく。

そして、自分の応援しているその人が頑張ってくれれば、
自分の理想とする社会構造に繋がってゆく
ことになるのです。」


そして、もちろん、お金持ちへの妬みや偏見も無くなります。

お金を持っているということは、
皆が応援したい人、皆から多大な感謝を受けている、
尊敬すべき人になるからです。

長くなったので、
もう一回だけ、続きます。(^_^;)


air_rank[1]
本日は30位でした〜!
いつも応援と拍手、有難うございます♪\(^o^)/
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