私の興味ある、悟りについての話や、スピ系の講演の感想、ヒーリングの体験談などを書いています。
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スピリチュアルを利用するエゴ
air_rank[1]

今日、セキセイインコのピーちゃんに、耳元で、
「ヨッシーチャンテ、イイコデスカ?」
驚愕の質問を投げかけられました。( ・θ・)

初めて聞く言葉に、驚くとともに、
「少なくとも、オマエよりはな!」と、思いました……(^_^;)


さて、なぜ、教えてもない言葉をしゃべるかというと…。

ピーちゃんは、もともと「ピーチャン、イイコデスカ?」が喋れます。
でも、教わった言葉を組み合わせて、
独特のアレンジにしてしまうのが得意でして…(^_^;)

大抵、彼のアレンジは、意味不明の言葉になるのですが、
本当にたま〜に、このように意味をなすこともあるのです。

まぁ、二度と聞けないでしょうけどね、
ペットから、飼い主の素行を質されるなんてことは…笑

〜・〜・〜

さて、昨日、友人がこう言っているのを聞いて、
なるほど、と思ったのですが。

「特に必要もないのに、
私の前世は、これとこれとこの人でしたって、
有名人の名前をあげる人がいて。
そういうのが、ちょっと苦手で…(^_^;) 」

その友人は、スピに理解がある人なので、
前世がどうの〜、という話自体に
アレルギーがあるわけではありません。

たぶん「必要もないのに」がポイントだと思うのです。

私は、その話を聞いた時、あるイメージが浮かびました。

大企業、しかも役職の肩書きのついた名刺を、
得意そうに配る、定年退職後のオジサンの姿が…。

「まぁ、昔は私、こんなに偉かったんですよ」って言って、
欲しくもない人に配って回ってる、笑
(もちろん、欲しい人に配るのはアリです、笑)

これを聞いた友人はウケてくれました、ヨカッター、笑



さて、スピリチュアルは、新しい生き方だと思われています。
少なくとも旧来の生き方とは違うし、
それゆえに、希望と変化があるに違いない、と。

でもこのように、
見た目は違うけど、中身である生き方は昔と同じ、という事は
多々あるのです。

そこには、旧来の社会と全く変わらない競争社会があります。

誰かより、優位に立たねば!

それを目的に、
自身の優れた前世といったものや、霊的な知識なりを利用すれば、
あなたは、今までと変わらない競争社会の一部です。

もちろん、競争社会自体が悪いとは言いません、
全ては中立の出来事ですしね。

ただ、競争社会は、
負けた者には満たされない想いを与え、
そして、勝った者にさえ、安心感を与えてくれないことは確かです。

トップにいても、いつ落とされるか分からない訳ですから。


どんなにかき集めても、誰かから搾取しても、
誰もが満たされない…。

そうこうしているうちに、地球一個分の資源なんて、
あっという間になくなってしまう…。

そんな今の現状が、こんにちの競争社会の結果なのです。


さて。

たぶん、スピリチュアルの知識がある人でも、
違和感を持つことを書きます。

これは、黒斎さんのツイートの言葉ですが…。
「転生は 赤の他人の 尻ぬぐい」

おおう、よく見ると、何気に五七五調ですね。


もっと、嫌なことを言います。
(これは黒斎さんの言葉ではないです、
私の考えなので、怪しいと思ったら適当に流してね…汗)

「前世は無い」

前世というシステムは、個別の魂がある、というのが前提です。
個性のあるものが生きながらえ、進化するという…。

この考え方は、
エゴの恐怖心から生まれたのではないかと思うのです。

エゴは、実体がなく儚いものゆえに死を恐れています。

なので、こう考えます。
肉体が滅んでも、個別の魂というものがあって、
私(エゴ)は受け継がれるに違いない、と。

そこでやっとエゴは安堵します、
私はこれで永遠のものになった、と。

これこそ、過去を、未来まで継続させる力、
原因を結果まで引きずってゆく力です。


でも、もし…。

相対性理論が説くように、そして覚者がいうように、
時間というものが幻想であるなら?

そうなら、時間経過が必要な「進化する魂」という考え自体が
おかしなことになりはしないでしょうか?

そして、唯一のワンネスがある、という前提であれば、
「永遠に分離している個別の魂」というのも、変な話ではありませんか?



しかし、もちろん実際には、
はっきり前世の記憶があるんですけど、っていう方も
いらっしゃると思います。


…それは、多分こういうことです。

前世は、現実と同じくらい現実だし、
現実と同じくらい幻想である、
と…。

スクリーン上に映された物語は、
あるとも言えるし、無いとも言えます。
どっちをとっても正解です。

つまりどこに、フォーカスするかによって、
答えは変わってゆくのでしょう。



もちろん、
ロマンや郷愁、喜びを感じさせてくれるなら、
前世やカルマの解消に関わることは、やぶさかではありません。

それが、「いまここ」の喜びにつながるならば、です。

しかし、その概念が足かせとなり、
自分にも他人にも、生き辛い「いまここ」を作り出すなら、
あっさり捨てていいと思います。

重荷としてのだけのカルマや、
優越感や劣等感を感じるためだけの、
前世や未来世の話なのであれば…。


もちろん、昔は、
永遠に引き継がれる業(カルマ)の概念も必要だったと思います。
人生を読み解くのに、便利だったからです。

しかし、業にとらわれ、永遠に回る車輪から抜けらない
全能者などいるでしょうか?

法則を作った者が、
それを凌駕できないということがあるのでしょうか?


これにどう答えるかで、
その人の生きる軽さが変わってきます。


楽しみを目的にする軽い人生か、
それとも、返すべき負債としての重い人生か…。

どちらを選ぶとしても、世界はそれを支えてくれると思います。

どちらも中立であるし、
そして、それがあなたという神が選んだ、
大切な世界なのですから。
(^_^)

air_rank[1]
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