私の興味ある、悟りについての話や、スピ系の講演の感想、ヒーリングの体験談などを書いています。
page top
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
page top
他人の為ということ
air_rank[1]

ノラドラさんのブログによると、
彼女の動物保護活動を、潰そうとする組織があるそうです。

声なき弱者、動物たちに貢献する活動だけに、
苦境に立たされている様子には、胸が痛みます。

しかし、変化が起きるときは、既存のものからの反対にあうものです。

それと組織といったもの、つまり団体、会社や国といったものは、
まるで一つの生き物のように動きます。
自我を持つ、といっても良いでしょう。

そして、自我は、欠乏感や恐れを抱いているものだし、変化を嫌います。

また、自我は分離であるために、
対立することで個を保ってもいます。

以上のことから、組織は、変化が起こりそうになると、
自身が脅かされたと感じて、攻撃をおこしたりします。

ノラドラさんに反対する団体も、
自分を守るための攻撃なのでしょう。
(もちろん、実情は知らないので分かりませんが…汗)

だからこそ、祈らずにはいれません。
どうか、ノラドラさんの動物保護活動が上手く行きますように。
そして、反対する団体にも、ベストな事が起こりますように…。


さて、他者のために祈ったり、行動するということ。
これは、自分をより自由で、幸せにするための行為だと思います。

「情けは人の為ならず」という言葉がありますよね。
これは「情けは相手の為に良くない」という意味に勘違いされやすいですが、
実際には「情けをかけることは、結局は自分の為である」という意味だそうです。

そして、確かにその通りだと思うのです。

わかりやすくするために、
逆のことを考えてみましょう。

自分の利益ばかり気にしている人がいるとします。

自分にしか興味がない彼は、しだいに視野が狭くなり、
それに比例して、恐れも大きくなります。

恐れが大きくなると、さらに自分を守ろうとするので、閉鎖的になります。
閉鎖的になれば、周囲からの協力が得られなくなるので
より恐れや欠乏感が大きくなり、それで貪欲になり、さらに閉鎖的に…。

こうして、負のループにはまります。

小さな個に集中すればするほど、分離と小ささが強調されてしまう。
それに、比例して自由度も失われ、苦しみが増えてゆく…。

自分(小さな自我)に執着する人ほど、苦しみが増すのです。

対して、他を思いやるとは、周囲とつながること、
つまり大きくなることです。

黒斎さん流に言えば、
ネット接続をしていなかった、スタンドアロンのパソコンが、
ネット接続するようなものです。

孤立したパソコンは、自由が制限されています。
やれることが、PC内のデータのみで左右されるからです。
PC内には、限られた情報しかないため、あまり自由さはありません。
そして不自由ゆえに、欠乏感でいっぱいです。

しかし、ネット接続されていれば、可能性・自由度は無限です。
ネット全体の情報が利用できるからです。
それが豊かさです。

さて、結局のところ、他者の為の祈りや行為は、
自分は個ではないのだ、という宣言
なのだと思います。

他者を思いやったり、助けることが、
自分は、自我を超えた大きな存在なのだ、ということを、
(無意識にですが)思い出させるのだと思うのです。

なので、慈悲深い人は、比較的、恐れや制限から自由です。

そして、はじめは慈悲深い人でないとしても、
他者のための行為をすることで
自由で、幸せな人間になってゆくだろうと思うのです。

「慈悲の瞑想をやれば、不思議と現実が良くなってゆく」と
聞いたことがありますが、それはこの理屈だと思います。

ちなみに、慈悲の瞑想について、書いた記事はこちら…
◼︎全体性を取り戻す ~思いやりと引き寄せ~ ◼︎



ええと…。
何を言いたいか、だんだん分からなくなってきましたが…。

ええと、もし良かったら、
ノラドラさんを応援してみてね、ということです。

う、うまくまとまったしら…? (^◇^;)

〜・〜・〜・〜・〜・〜・

さて、前々回、ゲームについて書きましたが、
一つ、書きそびれたことがあるので、書きますね。

かなり現実社会に近いな、と思うものにオンラインRPGがあります。

用意された共通の一つの世界に、
複数のプレイヤーが参加することとか、
人間関係が重要なところとか。

いや、私はやったことないですれど。(^_^;)

でも、オンラインRPGを舞台にした、
この漫画は面白いな、と思いました。

◼︎ネト充のススメ。◼︎

でね、もし自分がオンラインゲームをするなら、
どんなアバターを作るんだろう、などと考えてみました。

実際の性別や年に近いキャラを作れば、
共感できやすくていいな、なんて思ったり。

逆に、すべてにおいて、
反対のキャラを作っても面白いかな、なんて思ったりしました。

で、思ったわけです。
ああ、ワンネスから離れた時も、きっとこういう風だったのかな、と。

必ずしも、美男美女を操作したい訳じゃない、
そして、優れたスキルの優等生キャラを作りたいわけでもない。
(まぁ、それはそれで面白そうですが…)

ユニークなキャラをやってみたい、自分にない要素を味わってみたい!

そんな純粋な好奇心から、全ての存在は作られたのかもしれませんよね〜。

傍から見たら、性格も、ルックスも、
スキルも良くない、どうしようもないキャラに見えたとしても…。

それさえ、望まれて生まれたキャラクターなんでしょうね。
存在の善悪すら超えて。

漫画中にも、現実ではイケメン君なのに、ゲームではデブキャラを選んでいたり、
現実では美女だけど、面白オネエキャラを操る人が出てきます。

見た目の良さが、重要視される世の中ですが、
わざわざ、そうでないキャラを選ぶ人もいるわけです。

というか、むしろそれが良いというか。

スピ系で言われる「そのままでいい」っていうのは、
そんな神から見た目線の話かな、などと思ったのです。


air_rank[1]
本日の順位は40位でした(^_^)
いつも有り難うございます、励みになりますです♪

スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
| | 2014/05/07/Wed 18:31 [編集]
Re: タイトルなし
匿名希望さん、はじめまして(^_^)

ああ、あの龍起ですねっ!

…と言いたいところですが、ぜんぜん知りませんでした(^_^;)

ウェブサイトで見る限りだと、
セッションをしてくれる石屋さんなのですね。
もし、行かれましたら、感想を聞かせてくださいね♪
よっし~ | URL | 2014/05/07/Wed 22:35 [編集]

トラックバック
トラックバック URL

© よっし~のできるかな?. all rights reserved.
Page top
FC2 BLOG
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。