私の興味ある、悟りについての話や、スピ系の講演の感想、ヒーリングの体験談などを書いています。
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神聖さを利用する、エゴの怖さ
きゃー!

前回のブログで、「放射能記事は人気がない」なぁんて書きましたが…。
ご、ごめんなさい〜。

そうではなくて、
まじで記事が面白くなかっただけでしたね!
私の被害妄想でした!

前回の記事も、放射能のことなのに、
拍手がありましたものね〜汗

あのね、あのね…。
言い訳なんですけど。(^_^;)

放射能検査の先生がね、言ってたんですが。

やはり、自分の被曝量をブログに公表して、
読者から、叩かれてた人がいたって聞いたものだから…

被害者意識丸出しで、申し訳ありませーん!
みなさん、優しい方ばかりです〜。

でもね、やはりこの記事を読んで、不安になられたり、
苦しい思いをされた方も居らっしゃると思うんです。
本当に申し訳ないです、ごめんなさいね。

〜・〜・〜・

さて…。

先日、集まった友人たちの集まりで、
あるブログの話が出ました。

そのブロガーさんはサイキックで、
後ろに名のある神をつけており、
希望した人には、エネルギーを送っていました。
もちろん、善意の事です。

(特定できないよう、主旨から外れない程度に、フィクションにしています。
仮に、これに極似するブログがありましたら、間違いなく違うブログです。
何卒ご了承ください。)

友人の一人が言うには、どうも、このブロガーさんは、
最近どんどん変わっていっているように感じる。
気になって視てみたら、バックにいるのは神ではなく
グロテスクなものが見えた、と。

私も、そのブログを知っていて、多少驚いたのですが、
すぐになるほど、と思いました。

というのも、ブロガーさんに微かですが、
虚栄心が感じられたことと、
メッセージに中身が感じられないと思っていたからです。

とはいえ、本当に些細な虚栄心。
普通の人だったら、問題にもならないでしょう。

でもね、目に見えない世界で、
しかもエネルギーに敏感な人が、
虚栄心を持つことは、結構恐ろしいことなのです。

現実社会で、から威張りしているのとは訳が違います。

例えば、よっし~が
「下々のものたちよ、よっし~を讃えるが良い!
ブログランキングが、38位ぞよ」などと威張ってみたとします。

このように、常に、エゴは肥大したがりますが、
そこは現実社会の厳しいところ(笑)、
すぐに、エゴの高い鼻は打ち砕かれます。

例えば、そこのあなたっ!

今、こう思いはしませんでしたか?

38位ぐらいで威張るとは、
なんてしょぼい人間なんだぁ~!!
とっ


そんなあなたには、もれなく、
よっし~のまわし蹴りがいくことでせう o(`ω´ )o ムキー!!

……。
こほん。

普通は、こんな感じで世間が、もれなく叩いてくれるので、
根拠のない虚栄心は、叩き潰されます。


それが、宗教やスピ系においては、
そのストッパーが外れてしまうのです。

普通なら、尊敬されるほどの人物でなくても、
「女神が見えます、龍神と話せます、未来がわかります」となれば、
諸手をあげて尊敬されてしまうからです。

もちろん、もともと尊敬に値する人物が、
人気を得ることには、なんら問題がありません。

そういう人は、エゴ意識が低いから尊敬されているのであって、
エゴが肥大しようがないからです。

しかし、愛情に飢えていたり、なんらかの欠乏感がある人が、
(大抵の人はそうですよね、(^_^;))
キャパ以上の愛情や尊敬を得たりすると大変です。

エゴの肥大に歯止めがかからなくなって、
自分は他と違って偉いのだ、と思い始めます。

さらに、もっともっとと、みんなからエネルギーを奪って、
偉大なエゴを、さらに肥やそうとします。
基本的に、エゴには欠乏感があるからです。

そして、彼らのバックにつく霊的存在も間違いなく、
同じく愛やエネルギーに飢えた存在なのです。

だからこそ、付いている人間に超能力を与え、
人がもっと集まるよう、エネルギーを吸えるように働きかけるのです。



肥大したエゴは危険です。
なぜかというと、エゴは批判し、分離するものだからです。

オウム事件などは、
「自分たちは他と違う、特別だ」というエゴが起こした事件です。
分離が極まって、攻撃に転じたのです。


つまり、新興宗教やスピリチュアル自体が危ないのではありません。

それらが
「エゴを果てなく増長させる」ことに加担する場合
おそろしく危険になるのです。


実際問題、真のスピリチュアルは危険さとは無縁です。

なぜなら、真のスピリチュアルとは、
エゴとは反対の、全体性に貢献するものだからです。

つまり、それは…。
自分だけでなく家族を、
家族だけでなく人類を、
人類だけでなく、生きとし生ける物すべてを、
そしてついには、宇宙全体に貢献しようと思う心です。

これは、世界すべてが自分である、という観点です。

「神聖 Holy」の語源は「全体 Whole」だと言います。

全体性に貢献するものは、破壊しません。
一見、破壊に見えたとしても、根底に調和や愛があったりするものなのです。
それが真の神聖さです。

しかし、この神聖さを、
エゴが隠れみのとして利用した場合は、破壊力は超強力です。

なぜなら、彼ら自身、
正しいことをしていると信じている
からです。


目を開いて物事をみる、審神者する、真偽を問う…。
いまは、それが大事な時代なのかも、と思っています。


最後に…
よっし〜が勝手に思う、気を付けるべき存在のポイント〜〜〜

●特殊さをアピールする。
(有名どころの神の名を名乗る。不思議な現象を見せたり、感じさせたりする。)

●外が凄いわりに中身がない。
(外見や名前が凄いのに、メッセージに中身がない。もしくは、愛や崇高さが感じられない。)

●全体性より個を重んじる。
(特定の人物や、特定の団体に執着する存在は、高次元の存在ではありません。せいぜい私たちと同レベルです。)

●依存させたり(良いエネルギーや守りを送ると言ってみたり)、対立させたがったり(誰々は敵だと言う)、恐怖による支配をしようとする存在。

●現世的な利益や呪術に強い、もしくは些細なことにも干渉しようとする。
(物質界レベルに近い、つまり低次元の存在ほど、現象面で干渉することができます。)


air_rank[1]
本日の順位は31位でした、ほんっっっとーに皆様のおかげです!
いつもありがとう!!

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