私の興味ある、悟りについての話や、スピ系の講演の感想、ヒーリングの体験談などを書いています。
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本のご紹介~「奇跡の脳」
10月になると、ある日の朝とつぜん、
「大気がキンモクセイ!」になるのに、いつもびっくりしているよっし~です、
こんばんは~。

キンモクセイたちは、この日に開花しようって、
話して決めているんでしょーか?

ふしぎですね~!

でも、今年の香りは、なぜだか薄い気がします。
花が少ないのかしら…異常気象のせいかしらね?



いろいろと途中ですが、
今日はあまり書けないので、本のご紹介。(^_^;)

「奇跡の脳」 ジル・ボルト・テイラー著

ベストセラーなった本なので、読まれた方も多いんじゃないでしょうか?
私も前々から評判を聞いていたものの、やっと最近読みました~(^_^ゞ

~・~・~・~・

脳学者の女性が、ある朝、脳卒中を起こします。
出血した部分は、言語中枢がある左脳。

脳卒中を起こしていることに気づいた彼女は、奇妙にもこう思います。

「ああ、なんてスゴイことなの?
脳の機能が、失われてゆくさまを内側から研究できるなんて!」

…スゴイです、只者じゃないっぷりが半端ないですね!(@◇@;)

さて、言葉としての思考が失われるにつれ、
なぜか、深い喜びと、宇宙と一体化したかのような平安を得る彼女。

体の感覚も、固体から、液体のような流動的なものへと変わってゆきます。

いままでの様に、個としての境目を感じるのが難しい。

そして、変性意識の彼女は、
体は生きるための乗り物にすぎないという事に気づきます。

体の細胞たちが、自分を支えていたことに、驚きと歓喜を感じます。


左脳がダメージを受けるにつれ、
過去の自分のデータが、失われてゆく彼女。
すると、自分が何者かさえ、分からなくなります。

データが無くなるということは、
過去はもちろん、過去を参照して作られる未来さえ無くなってしまう。

時間軸を失った彼女は、もはや「今ここ」にしか居られません。

時間という積み重ねがなくなり、物事を順序だてたり、
AとB、1と2を関連づけることさえ出来ません。

もちろん、命が危険であると理解しているし、頭痛も酷い。
なのに、圧倒的な静けさと幸せを感じる。

そして、過去の自分と比較して、いまの自分が劣っているとも感じない。
すべてここにあり、完璧であると。

なんとか助けを呼び、手術を受けることが出来た彼女。

そして、数年にわたる努力とリハビリを経て、
左脳の機能を回復させていきました。

ただ、回復しようという決断は、
よくよく考えなくてはいけなかった、と彼女。

なぜなら、全体性を感じていられる至福は素晴らしいものだったから。
そして、共感性が高まった彼女には、普通に生きる人の苦しみも、感じていたから。

今の意識、価値観を捨ててまで、
苦しみに満ちた左脳の世界に戻る必要はあるのか?


もちろん、この世界で生きるために、
彼女は、左脳の機能を取り戻してゆきます。

しかし、左脳には、彼女が理想とする性格とは、
反対のものがあるのも知っていました。

たとえば、個としての意識が、
自己中心的な性格と、死への恐れを生み出すし、
欠乏感、貪欲さがあるからこそ、お金が大切
と思えるようになる。

このように、分離意識としての左脳は苦しみを生み出します。

しかし、彼女は気づきます。

しかし、どの感情を持ち続けて、
どれを捨てたいかは自分で選べる事に。


かつて、彼女は、脳がつくりだした結果にすぎず、
何を感じたり考えたりするかは、選べないと思っていました。

しかし、そうではない事に気づいたのです。

喜びといった好ましい感情は留め、
そして怒りや、批判などの嫌な感情は、たとえ感じても、
すぐに手放すことが出来るのだと。


おそらく…。
これこそ、エゴを従えた(主人公としない)生き方なのかもしれません。

私たちは、「自分=エゴ」と思っているがゆえに、
半ば強制的に、さまざまな感情を感じさせられています。

だから、回避できない嫌な感情を感じると、外部に憤りを感じます。

しかし、嫌な感情を感じているのは、自我でありエゴなのです。

そして、もし「自分=エゴ」でないとすれば、
エゴが生み出した感情を、客観視でき、
支配下に置くことも出来るのではないでしょうか?

私たちは、ある感情を持つとき、肉体で反応するものですが、
その生体反応が続くのは、たった90秒だけだそうです。

それ以降は、自ら選んでその感情を長引かせているだけです。

昨日の出来事について、怒りがあるならば、
たった今、思いだして怒りを呼び起こした(選択した)という事です。

もっとも、「自分の感情はすべて、自分の責任である」という事は、
大いなる喜びであるとともに、荷の重い事でもありますよね(^_^;)
(何事も、他人のせいに出来ないという事です~)



私が、この本で、一番驚いたのは、
右脳の素晴らしさというよりは、左脳の偉大さでした。

私たちは、「私がいる」という感覚なしには、この世界でいられません。
至福であり、一体であるという感覚の右脳だけでは、生活が出来ないのです。

生きるとは、個として外部との接触が必要だから。

うろ覚えですけれど…(^_^;)
仏教では「私がいるという誤解」から苦しみが生まれる、と説いていたと思います。

そうなると「自我」は苦しみの原因だから、
「自我=悪」と思ってしまうのは、自然な流れかもしれません。

しかし、「私がいる」という感覚は、
この世で生きるには重要です。

例えば、ドット絵だった初期のドラクエを思い浮かべて下さい。

色とりどりの点々である、ドットの中から、
このドットは自分で、周りのドットは背景であると理解できるのは、
すごい事ではないでしょうか?

似たような色の点から、自分と背景の点を区別できる能力。
自分がどの点であるか、それが分かってはじめて、冒険は始まります。

たしかに、右脳で生きていた時の著者は、
目は見えていても、物の境界や、色が識別できなかったそうです。

また、奥行きさえも、教わらなければ理解できなかった。

あらゆるエネルギーが混ざり合い、印象派の絵のようで、
物を区切られたものとして認識できなかったのです。



本当の世界と言われるワンネスが、右脳の世界ならば…。

それを、基盤に
バーチャルリアリティーを紡ぐ事が出来るのが、
左脳なのではないでしょうか?


そういう意味で、
左脳の世界の方が、ノンリアルだし、奇跡に近いのかもしれません。

そして、2つの全く異なる世界を
一つにまとめ上げる事ができるなんて、人体には驚くばかりです。

そして、ニルバーナ(右脳)は
常に、みんなが内包しているものなんですね!
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