私の興味ある、悟りについての話や、スピ系の講演の感想、ヒーリングの体験談などを書いています。
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エゴが嫌いな話


もし…。もしねっ(^_^;)

先月の黒斎さんの講演の記事を
楽しみにしている方がいらしたら、ごめんなさい〜。(>_<)

その記事は書かなくていいかなーと思っちゃってます。
というのも、皆の興味を惹かないと思うから。

前回の月イチ☆は、毒舌編と銘打たれていたんですね。

ただ毒舌といっても、誰かに対してではなく、
自分…つまりエゴに対して辛口ということだったのです。

簡単にいうと、一元論の話だったのですが、
それは自身の存在を脅かすので、
エゴにとって面白くない訳です。

もちろん、話が面白くないとなると、
講演としては成り立ちません。
人が集まらないと講演になりませんからね。

だから、黒斎さんはあえて、
エゴにとっても、興味深い二元論の話も織り交ぜて、
面白い講演にしているのです。

でも、先月は一元論ぶっちぎりにしたらしい…。
だから、そのお話は、エゴには面白くないわけです。


さて…。
エゴにとって面白くない話題ってなに?という方のために、
ちょっと私の体験を話したいと思います。

今回、講演に行く前からずっと、
私自身、やる気が起きないというか、
気分が低迷していたのですね。

なんでだろうと思っていたのですが、
ある時「私」を成長させることに、
興味が薄くなった事に気づいたのです。

もちろん、以前からエゴ(私)というのは、
幻想だとは知っていました。
でもそれは、単に本で読んだ知識だったんです。

それが、ごくわずかですが、
感情部分で腑に落ちたのかもしれません、
自分の重要性がやや希薄になったのです。

むろん、悟りを開いたわけでもなく、
ニルヴァーナなる絶対的安心感を得たわけでもありません。
だから、よけい始末に悪いんでしょうけど…(^◇^;)

で、自分という重要性が希薄になると、
世間の考え方と、本当にずれちゃうんです。

世間のすべての活動は、
すべて自分という属性を増やすためだということが、
はっきりくっきり感じられてしまう。
(もちろん、スピリチュアル業界も例外ではありません)

自分の金、自分の物、自分の意見、自分価値やスキル、
自分の家族、自分の子孫、自分の……自分のモノを、もっともっと!!


とにかく、自分を増やすための活動ばかりしている。
というか、それしかやっていない。

人がやることは、多種多様な活動に見えますけれど、
つきつめて考えると、最終的にはそれが原動力なんです。

考えれば考えるほど、
その価値観は、それは「単純に生きる事」に比べたら、
あまり大したもので無い…。

それに気づいてしまうと、
まるで、みんなが野球をやっているなかで、
自分だけ、ゲームの外に出てしまった違和感が生まれます。

ゲームから抜けたことで、
どんなゲームをしていたかが、客観的にハッキリ見える。
けれども、仲間に入れなくなったことで、生きることがより苦しい…。

エゴは、楽しくゲームをしていたいのです。
ゲームから外れる話など、聞きたくありません。
ましてや、その行為が自分の優越感を打ち砕くものなら、なおのこと。

(一元論では、誰かより優れることが出来ません。
全ては一つなんですから、平等だし比較など出来ないのです。)


以上が、エゴが一元論を聞きたくない理由です。



しかし、その痛みを超えてなお、
エゴが、本質を見なければならない時代が来たと思います。

エゴが悪いからでも、エゴが不要だからでもありません。
単純に、エゴが強くなり過ぎて、
自身と世界を滅ぼすほど、バランスが悪くなったからです。


今の世では、「単純に生きること」が軽んじられています。
現在の地球の資源であれば、全人類の最低限の生きる糧は、
まかなえるはずです。

でも、エゴには、そこには興味がない。
「単なる命」には、興味はないから。

それより「萌え」みたいな、架空のものが大好きなのです。
必要以上の金品を集めたがるのも、
それに付随する「萌え」を得たい為なのです。

それは、名声とか、羨望とか、人々からの愛、
ステータスといったものでもあります。

そのような「萌え」は、「生きること」の現実性に比べたら、まったく幻想です。

考えてみてください、現実の紙には、裏も表もありますね。
しかし、「萌え」とは「表しかない紙がある」と考えるようなものです。
ある事象において、ポジティブだけを切り取れると信じる行為です。

もちろん、幻想と知って「萌え」を楽しむことは良いことです。
すでに、アニメやアイドルなどでは、
皆がそれを、ある種の幻想として楽しんでいますよね。

ただ、現実にたいし、努力すればポジティブだけ得られると信じることは、
まったく現実的ではありません。
でもまだ多くの人が、現実社会で幻想を追い求めているのです!
だから、リアルな命が、ここまでおろそかにされるのかもしれません。



そして、エゴは、上に立ちたいがゆえに下を欲しています。
人々がそう考える理由は、邪悪だからではありません。

その根底には、底知れない飢えがあるのです。

自分はもっと沢山得て、もっと他人から愛されないとダメ。

でないと…
でないと…生き残れないかもしれないから!

ほら、降り出しに戻りました!!
だって、今あなたが生き残っている、
つまりゴールにいるんです!

生き残っているのに、さらに生き残りたいから
優越感を求め、他者を軽蔑し、
隣人や隣国といさかいを起こすのです。


では、初めから、
生き残りをずっと保証されている社会なら?

人類の誰しもが、最低限の生活を保証されていたら?
生きる事に、誰も不自由していなかったら?

誰かを見下すことも、優越感を求めることも、
必要以上のお金、社会的地位、
名声を求めることも、もはや必要なくなるでしょう。

そうなれば、自分も他人も傷つけることなく、
ゆったり生活できます。
義務感からではなく、喜びから仕事をするでしょう。


でも、その前に、私たちは、優越感を諦めなくては!
そして、他者の不幸を望むことも、ゴシップも、
誰かを見下すことも。

それはつまり、エゴの欲求を認めつつ、
自分がエゴでないと知ること。

エゴがやっているゲームを知りつつも、
そのゲームが全てだと思い込まないこと。


さて、あなたは「生きる事」を重視しますか、
それより「他者より優れる事(萌え)」を望むのでしょうか?



本日は56位でした、
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常識という鎖


最近は、灼熱地獄のような暑さがすぎて、
ようやく過ごしやすくなってきましたね!


これは2週間ほど前、まだ暑かった時のお話です。

まるで陽射しが刺すように痛い昼すぎ、
植木に霧状モードのホースで水をやっていたら、
とかげくんが物陰から顔を出しました。

何となく出来心で、とかげくんに霧を吹きかけたところ、
思いのほか、心地よかったようです。
どんどん身を乗り出してきました。

で、全身に水びたしにしたあと、
霧を噛むように、口をパクパクさせてから、
物陰へ隠れてしまいました。

あー行っちゃった…ちょっと残念に思う私。

すると、それが通じたのでしょうか、またも出てきて、
今度は、私の足元までやって来たのです。

おおう、臆病者のとかげ君にしては、
なんたる大胆! Σ(゚д゚lll)


さっそく水をかけてあげると、
今度は身体をよじらせて、背中とお腹にまんべんなく水をこすりつけ、
口をパクパクさせてから、ゆっくり去っていったのです。

あー涼しくて、気持ちいー!

言葉が分かる訳じゃないけれど、
確かにそう言ったように感じられて、満足したよっし~なのでした。

あーかわゆいな!
どんなに小さくても、誰かを喜ばせられると、
こっちも嬉しくなるものだよなぁ。


それに、これって、誰でも皆そう感じるはずだよな。
暑いなか、ぼんやりそう思っていました。

もちろん…。
沢山の人間が他人の足をひっぱっています。
他人の不幸が好きだったりするし、他人を妬んだり、ゴシップ好きです。

でもそれは、この競争社会において、
誰かが不幸にならないと、
自分が幸せになれないと教わったからだ、と思うのです。
そして、誰かを蔑まないと、自分を肯定出来ないからだと…。

でも、自分の利害に関係ないところなら…。
そして誰かが自分の存在を喜んでくれるなら、
自然に人は、誰かの喜ぶことをしてしまうものじゃないでしょうか。

小さな動物や赤ちゃんに接する人々を見ていて、そう思います。

みんながみんなの喜びを願う。

それが出来れば、この世は一瞬にして
天国になるのだろうと思うのです。


もちろん、その前に、
自分をニュートラルな状態へ戻す…
つまり、心の傷を癒さないといけないとは思いますが。

でないと、自分の価値を高める為には他者を蔑むべきだ、
という世間の常識に取り込まれてしまいます。

世間がどのようにして自分をコントロールしていたか、
そして、自分の本当の望みは何なのか…。


それに気づいてやっと、常識という鎖から、
自分を自由にすることが出来るのだと思うのです。

どうか「全ての人が幸せになるなんて、絶対に不可能だ」という常識から、
全人類が解き放たれることが出来ますように。



本日は93位でした♪読んでくださってありがとうございます!
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終戦記念日に思う


今日は、70回目の終戦記念日ですね。

今年は、この日を、いつもとは違う風に感じる方も
いたかもしれません。

つまり、私たちが今後「戦後」と言い続けられるかは、
今にかかっているということ。
今後のやり方が悪ければ「戦後」ではなく、
「戦時中」になってしまうかもしれないこと…。

私も、去年までと違って、
戦争をより身近なものとして考えるようになりました。



また、私たちは、最近の政府の動きを見て、
気づき始めていると思います。

政治は、国民の希望や要望で、動くものでは無いことを。

権力者たちは、元々やりたいシナリオがあり、
その通りに、国を動かしたいだけだということを…。

だから、日本国民は単に、
政府の振り付け通りに踊るように
求められているだけなのかもしれませんね。

前もって決められているかもしれないシナリオ。

政治、原発の今後、各国の友好関係などといったものはすでに書かれ、
各国の国民は、その通りに、
いがみ合ったり、協力しあっているだけかもしれない。

だとしたら、日本だって、
電力不足か否かなんて、きっと関係ないんでしょうね。
政府にとって重要なのは、電力よりも原発の再稼働です。

また、他国の脅威から自国民を守ることも、
日本政府は、あまり興味がないでしょう。
それよりも必要なのは、軍力の強化と戦い。

だって、世界中の国が皆仲良しになってしまったら、
誰かが、漁夫の利を得られないじゃないですか!



でも、仮にそうだとしても、
権力者を憎むことは、きっと意味がない…。

憎み批判するという、今までと同じやり方をするなら、
きっと同じ世界が繰り返されるだけです。

それに、権力者は昔から、
民衆の不満の扱い方は心得ています。
この不満を、見当違いの方向へそらすことで
かえって彼らの力になってしまいます。

だから、本当に大切なことは、
各自が冷静に考え、
自分なりの答えを見つけること
です。

今の状況を冷静に見て、理解すること。
自分にとって何が大事で、
何が不要なものかを見極めること。


それに、今の現状がこのようであるのは、
私たちがそれを許し、良しとしたからでもあります。
そういう意味で、私たちは犠牲者ではありません。

考えてみてください。

私たちは、つい最近まで、
この世界観で自分たちが幸せになれると信じ、
言われた通りやれば、勝ち組になれると思っていました。

お金や力があれば、幸せになれると信じました。
人を蹴落とし自分が上になろうとするルールに同意し、
力を譲り渡したのです。


しかし、よくよく考えれば、
このシステムでは、勝ち組は誰もいないのです。

私たちが羨ましいと思う人々、
多大な富や権力を持つ人々ですら、やはり幸せでないのです。

彼らは、大金持ちかもしれませんが、
奪わねば自分たちの生存は危ういと信じている時点で、
十分に不自由で不幸です。
そして、他者から奪う行為そのものが、
「貧しさの世界観」を確固たる真実へと、
創り上げてしまったのです。


そして、その価値観に同調している時点で、
私たちもその世界の一部です。


このルールでは、誰も幸せでない。
もし、一人一人、そのことが腑に落とせたなら、
世界は否が応でも変わります。


でも、私たちはその前に、
信じこまされた世界観、価値観を手放さなくてはいけません。

人より上に立つこと、多くを持つこと、
優越感を持ったり、人や自分自身を批判することの意味を問い、
最終的には諦めなくてはいけません。

諦めると表現したのは、
優越感や批判には、快楽が伴うからです。

もし、その快感を手放せないのであれば…

全ての人が幸せになれる世界を拒否しているのです。

それは、まさしく権力者と同じ思考です。
権力者を批判しても意味がないのは、
自分たちも同じ考えを持っているからなのです。


さらに、もう一つ問題があります。
自分で考えはじめると、
どうしても世間の常識とずれてしまいます。

世間とずれることを、私たちはひどく恐れます。
世間が自分を評価してくれなくなるからです。

それは恐ろしいことです。

例えば、戦時中なら、世論から外れることは命に関わるでしょう。
戦争に疑問を抱いたり、人殺しを拒否すれば、
自身が恐ろしい目にあいます。

しかし、今は違います。
今、みんなが、世界の仕組みに疑問を持ち始めています。
もし、みんなが変わることが出来れば、傷つく人は出ないでしょう。

命令されても、みんなが戦争に行かなければ、
自分も他人も傷つかずにすみます。

もちろん、その前に、
自分の中の不調和を癒す必要はあります。

自分の内にある、批判や優越感や劣等感を観察し、
それが自らの幸福の役に立たない事に、気づかなければいけません。

こうして、自分の中の葛藤を終わらせたとき、
外部の葛藤(争い)も、無くなってゆくと思うのです。



本日は86位でしたー!
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一元論と二元論


ひさびさに先月末、
黒斎さんの月イチ☆講演に行ってきましたー!

(今は黒斎さんじゃなくて、黒澤さんだけど、
旧HNも捨ててないみたいなので、黒斎さんのままにします。)


今回のテーマは、
上座部仏教(初期仏教)と、大乗仏教の違いでした。

おう、私のためにあるような講演だ!

というのも、かなーり昔の話ですが、
ちょこっとだけ、ヴィパッサナー(上座部仏教の瞑想)の瞑想会に
行っていた時があったのです。

そして同じ頃、大乗仏教のお坊さんから、
気功や、ちょっとした仏教の所作を習っていました。

ちなみに、上座部仏教とは、
初期仏教やテーラワーダなどと呼ばれ、
ブッダの教えが色濃く残っている教えです。
スリランカやタイなどに伝わるものが、この仏教だそうです。

一方、大乗仏教は、
中国で儒教の影響を受けて日本へ伝わった仏教です。
大乗には、衆生を救うという意味があります。

個人的には、記憶力が必要な大乗仏教に比べ、
(お経、細々とした所作、膨大な知識を記憶することが必要…そう私向きでないの、汗汗)
哲学的でシステマティック、
大乗よりもシンプルに思える初期仏教の方に共感していました。

そして、大乗仏教のお坊さんが、
しょせん小乗(自分一人の救済を意味する)と、
初期仏教を軽んじていたのも、気になりました。

自分が救われてなくても、他人を救えるのだろうかと思ったのです。

さて、初期仏教の方に心引かれていたものの
初期仏教なら、全部同意できたかというと、それも違いました。

というのも、守らなくてはいけない戒律(五戒)が、
あまりにも厳格だったからです。

例えば、嘘はついてはいけないのですが、
お世辞はもちろん、愛情からでも嘘をつくことは許されません。
たとえば、病人を思いやって
病名を偽って伝えるのもNGなのです。

また、ちょっとのアルコール摂取も禁止ですが、
もちろん作ったり売ったりもいけません。
そのため、その瞑想会では、
酒造を生業にしていた人が、職替えしてしまったとも聞きました。

ここまで厳密に、戒律を守ることに注意していたら、
日常生活がかなり制限されてしまう…。
やっぱり宗教になると、どこかしら窮屈だなぁ。
自由に生きることを目指して、学びはじめたことなのに、
ますます不自由になるのはやっぱり変だ。

って思ったら、行かなくなっちゃいました…(^_^;)



さて、黒斎さんの講演では、
二つの仏教の話から、一元論と二元論の話になってゆきます。

一元論である初期仏教と、二元論である大乗仏教。

ちょっと難しいので、まとめられるか分からないけれど、
もし出来たら、他の機会にでもやりたいです。

自我の存在が、苦の原因であるとし、
自我の解体を目指す一元論。
たいして、自我のニーズを叶えることで、
幸せになろうとする二元論。


精神世界の教えは、
これらの反対の方向性のものを混同、混合していたりします。
(無意識の場合もあるし、自我の反発を恐れて意図的に変えている場合もあります)
だから、スピリチュアルは、理論的でないというか、
よく分からないものも多いのです。

分からないから怪しさにつながる、と黒斎さんは言います。

(ちなみに、一元論、二元論の違いについては、
奇跡のコースの解説本とも言える「神の使者 ゲイリー・R・レナード著」が
一番わかりやすいと私は思います。)

黒斎さんは、一元論は本当に人気がない、
それについてブログに触れようとすると、コメ欄がすぐ荒れるといいます。

一元論がなぜ、ここまでの抵抗にあうのか。
また、本来一元論だった教えでさえ、なぜ二元論に替わってしまうか。

このあたりも、「神の使者」がとてもわかりやすく説明しているので、
ご興味がある方はぜひ。



さて、このような自我の抵抗とは、いかなるものでしょう?
もし、興味がある方がいましたら、
試しに以下の思考実験をしてみて下さい。(^_^)

◾︎哲学者「この世界は5分前にできた」 ←感情論抜きで論破できる?◾︎

◾︎哲学的な何か、あと科学とか 思考実験(2)どこでもドア◾︎

どちらも真剣に考えると、
なんだか、ちょっと不安になりますよね。

もしかしたら、自分の記憶は全て作られたものかもしれない?
(自分というアイデンティティーは確固たる存在じゃない?)
身体の物質全てが置き換わった自分は、本当に自分なの?

ここで不安になるのは、自分は幻想かもしれないということを
自我が感じるからなのです。

もし、初期仏教や奇跡のコースがいうように、
自我が本当に幻想であるならば…
そして、覚者や学者が言うように、時間が幻想であるならば…

この思考実験の仮説も、あながち間違ってないってなるのが
ある意味シュールですよね…(^_^;)



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