私の興味ある、悟りについての話や、スピ系の講演の感想、ヒーリングの体験談などを書いています。
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得って、いったい何?


ココナッツオイルと、
エゴマ油や亜麻仁油などといったオメガ3系オイルの
フィーバーが落ち着いてきました。

やれやれ!
ようやく問屋で、ココナッツオイルの発注制限数がなくなり、
自由に注文できると思った矢先のことです。

ふと気づくと、その問屋さんでは、
ココナッツオイルがセールになっていました。

これはもしや…

問屋でココナッツオイルが
売れずに余っているって事?!


確かに最近は、店頭でも、
ココナッツオイルやエゴマ油はほどんど売れません。

想像してみるに…

ブームになったから、品切れになってしまう。
それを間に合わすために海外へ大量発注する。
しかし、それが日本につく頃にはブームが去って売れなくなる。
ゆえに不良在庫の山を抱える…。


もしかしたら、地道に商売をしていた業者さんは、
そんな憂き目に合っているのかもしれません。

小さな会社なら潰れてしまうかもしれません、
以前、記事で書いた高野豆腐メーカーさんのように。

◾︎ 自分の為に生きるということ 2 ◾︎

では、ココナッツオイルが売れて得をしたのは、
一体誰なんでしょうか。

前もってブームがいつ来て、
いつ去るかを知っていた人ではないでしょうか。

あらかじめ、沢山のココナッツオイルを輸入しておき、
(ブーム前なら値段も安いでしょうし)ブームが来たら一気に放出する。
その在庫がはけるまでは、マスコミで何度も取り上げさせておく。


でも、フィーバー(熱病)はその名の通り、いつか去ります。

恩恵は、どこぞの力ある人だけが受け、
ツケは、地道に商売をしてきた人たちが払う…。

現代の世の中は、情報が先んじて得られれば得をします。
株などは分かりやすいですよね。

でもそれは誰かの損の上の成り立った得なのです。
それは、本当に得と言えるのでしょうか?



情報を制する人は、
確かに大きな力を手にするのでしょうが、
その大きな力によって、
自らの首を絞めているだけかもしれません。

だって、私たちは本質では一つなのですから。
本当の得とは、winwinの関係でなくてはならないはずですから。


人は人から、飽くことなく搾取していますが、
それより大規模に奪っているのは、声なき自然や動物からです。
そして、その結果が今の地球環境です。

環境汚染のなかでは、もはや勝者は誰もいません。
もう、そこから何かを学んでも良い時期ではないでしょうか。


分け合えば、
皆が心配せずに暮らせる豊かさが地球上にはあります。


考えてみてください。
昔にさかのぼると、住民全員が食糧の生産や収集に関わらないと、
食べてゆけない時代もあったのです。

ところが、今の日本はどうでしょう?
マスコミやゲーム関係、映画やアミューズメントパーク、
直接生存とは関係のない、娯楽に特化した職業が沢山あります。

食料生産に関わりのない職業従事者が、こんなに多いのに、
皆それなりに食べてゆけるのです。

むろん、日本には輸入品が多いせいもありますが
地球規模でみても、第一次産業で働く人数は限られています。
なのに、70億の人たちが生きています。

もちろん、飢えている人も多いですが
これは、技術や食料不足のせいではないでしょう。
単に心の問題であり、私たちの心の飢えが原因だと思います。

例えば、生産した穀物全体の40%が、食肉用の家畜の飼料に回されます。
もし、一人一人が食肉をちょっとでも減られば、
穀物はかなり余るでしょう。
その穀物を直接人が食べれば、食糧危機はなくなるはずです。

また、農業用地や家畜の飼育用地として、
貴重な原生林を、切り開くことも無くなるでしょう。


誰かより優位に立とう、
誰かより贅沢をしたいという一人一人の思いが
この世界を作ったのです。

誰かの上に立つというのは羨ましい事、
幸せな事だと世間は言いますが、本当でしょうか。

何が自分にとって本当の幸せかを、
一人一人が考えるべき時だと思うのです。

皆が上に立ちたい、
もっと得たいと思っているからこそ、
私たちは、必死で働いています。

その結果、仕事が苦しみになり、同じ人間を見下すようになります。
自分より持っていない人間を、です。
誰でも、地位、お金、物、美しさ、力を持っていなければ、
尊敬するに値しないというわけです。


さらに、今の社会では、
持たないものは、
生きる上での基本的なサポートも受けられません。


だからこそ、人々はいつも不安でいっぱいです。
見下されないように見栄を張り、
将来のために、コマネズミのように働くしかないのです。
それこそ、忙しさで心や命を失うほどにまでに。

でも、本来、人は「生きている事自体」が
敬われるべきです。

「持っているもの」でなく「命」が素晴らしいから、
互いの存在を尊敬しあうべきなのです。

それがもし出来きるのなら、
あとは放っておいても、
生きるためのサポートは無償でする社会に
なってゆくことでしょう。

だって、分け合えば、
それくらいの豊かさはこの地球にはあるのですから。

それが、本当の文明だと思うのです。
それは、一人一人が命の心配などせずに、互いに支え合う社会です。

物を持たなくても、なんら心配でなく、軽蔑もされない。
だから、自分に自信を持てるし、
他人にも愛と敬意を持つことが出来る。

そしてもし、自分や他人を愛しているのなら、
皆のためになる仕事が、喜びにならないはずがないのです。

こうして、誰もが幸せな世の中が生まれます。

それは、一人一人の意識が変わることによって。
曇りない目で、今の間違いを見据えることによって。




本日は58位でした♪
応援してくださる皆様、いつも有難うございます♪
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持たない生き方


朝、出勤の支度をしていると、
ミニマミストと呼ばれる人たちの話題が
テレビで取り上げられていました。

なんでも、最小限の物しか持たないライフスタイルだそうです。

物を持たないでいられるって羨ましい、
私にも出来るだろうか、思って見ていたら…。

想像以上に、物が無さすぎで驚いた!

こ、これは出来ない…。Σ( ̄□ ̄;)
なにせ、家の中には家具や物が一つもないんだもの!

服さえ6着くらいしかなく、
それを通年着まわしているそうです。

◼︎驚き!“モノを持たない”暮らし◼︎

本当にすごいです!

時代が変わった、
これこそスピリチュアルな生き方だ、と思いました。

もちろん、ミニマミストたちが、
スピリチュアルに関心があるかは知りませんが…。

しかし、これは、ゆだね(サレンダー)なくしては出来ないことです。
そして、今を生きる生き方でないと。



私たちは、恐れから物を集め続けます。

将来への恐れから、お金を、物を、情報を、
人からの尊敬を…。

たとえば、洋服が好きな人だったら
服を沢山持つのは当たり前でしょう。

しかし、私はそうではありません。
でも、世間が、オシャレで毎日違うものを着なさいというので、
私は、ニーズに合わそうと努力します。(でも、オシャレは出来てないけど…(^_^;) )

だから、要らない人でさえ、
必要以上の服を持つことになるのです。


だって、そうしないと世間に容認してくれないから。
毎日違う服を着、オシャレでないと人から軽蔑されるから…。


世間には、理想の生き方というテンプレートがあります。

しかしそれは、個人としての理想の生き方でありません。
あくまで、資本主義にとって都合よい、
理想の生き方なのです。


お金や物を出来るだけ沢山もち、学歴があり、
容姿は美しく、社会立場がある…。

つまり、経済を支える生き方。

より多くのお金を生み、
多くを消費する
(地球環境に負荷をかける)生き方が
社会から推奨されるのです。


なぜ、推奨されるのでしょう?

それは、多く稼ぐ人がいればいるほど、
トップの人たちが、多く上前をはねられるからです。

そして、多く稼げない人たちへは、
あなたは足りないといって、欠乏感を植えつけます。



もしかしたら、それに真っ向から挑んでいるのが、
ミニマミストではないでしょうか。

余計な物を欲しがらない、世間体にも左右されない、
自分の幸せに基づいて行動している…。


つまり、飢えがないために、コントロールできない。

ということは、コントロールされている社会にとって、
容認しがたい存在です。

おそらく、世間的には風当たりが強いでしょうが、
自分を通せるミニマミストたちは凄いと思います。

このような自分の幸福に忠実な人たちが
増えるといいですね。(^_^)



もう一つ、飢えについて感じたことを書かせて下さい。

ある時のことです。
「やる気が出ない、何もしたくない」と友達に愚痴ったところ、
このような答えが返ってきました。

「でも、それはお金がないからでしょ?
もしお金があれば、もっと色んなセッションやセミナーも行くし、
石も買うでしょ?お金があれば、やる気も出るでしょ?」

それを聞いて、雷に打たれたように感じました。

ああ、そうか!
それが常識なんだ、それが当たり前の考え方なんだ。

物を消費することイコール幸せなんだ!

でも、石を沢山持ったからって何なのでしょう?
それが私を守ってくれるとも?

確かに、そのように作用してくれている部分は
あるのでしょうが…。

でも、肝心の守られた私は、何をすればいい?
今だって、生きる意欲というか、
命を使う方向性が分かってないのに!

セミナーやセッションにしても同じです。
自分の健康状態、精神状態をいくら良くしたとしても、
それが生き方に活用されなければ、無意味です。

もちろん、消費を否定しているのではありません。
私だって、欲しかったら、石も買うしセッションにも行きます。

消費自体は、なんら悪いことではありません。

ただ、生きることのサポートが消費なんです。
消費が、生きる目的にすり替わっては、
元も子もありません。


お金があれば、際限なく消費するだろう、だってそれが幸せだから、
という考え方に違和感を感じます。

そこに、飢えを感じるのです。
そして、その飢えは、他者から植え付けられたものだとも。

(むろん、物を集めることや、
沢山のセッションに行くこと自体に幸せを見出している場合は、話は別です。
欠乏感からでなく、その行為そのものに喜びを感じているからです。
友人の場合は、これに当たるかもしれませんが。)



昔、私はバイキング形式のレストランに行くと、
食べられるだけ、お腹に詰め込んだものです。

払うお金が同じなら、沢山食べないと損だと思ったのです。

でも、ある時、気付いたのです。
無理して詰め込んで、いったい誰が得するんだろうと。

まず、私が多く食べたぶん、レストランは利益率が悪くなります。
そして食べ過ぎは、私の体にもよくありません。
また食べた物も、消化吸収出来ない分が増え、無駄になります。
ということは、食べ物を生産する地球に、より負荷がかかるのです。

みんな、損してた!

でも何故なんだろう?
バイキングとなると、ついつい食べ過ぎてしまうのは。

大半の日本人は、食べ物には飢えていないし、
むしろ、食べ過ぎでダイエットをする人も多いのに?

それはたぶん「あなたは足りない」と教わったからではないでしょうか。
身体は、反対のメッセージを送ってるかもしれないのに…。

必要性のない物欲は、いったい誰得?

人々は、この欠乏感と物欲のために、常に争っている。
結果、だれしも生きることに汲々としている。
そして、過剰な生産活動のために、地球は汚れ続ける…。


だったらその分、
奪う側の人たちが幸せなのかというと、それも違う気がするのです。

だって彼らも飢えているからこそ、下から搾取しているんですから。

そして、お金持ちは、お金を持てば持つほどもっと飢えます。
で、ますます思いやりを無くしてゆく…。

◼︎お金と苦しみ6 ~お金が人を意地悪にする?~◼︎

それは、巨大すぎるパワーを持つと、個人では制御できず、
それに振り回されてしまうからかもしれません。

大金のエネルギーと、利権を貪る組織の意識に、
(組織に属しているはずの)個人が強く支配されてしまう。

それを憑依と言わずして、なんと言いましょう?

そして、もし憑依されているなら、(他人の意識で動かされているなら)
自身の幸せに気づけなくても当然のことです。

かくして、上も下も、
誰も幸せでない社会が出来上がりました!

めでたし、めでたし!!(?)



本日は57位でした♪
応援してくださる皆様、いつも有難うございます\(^o^)/
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安保法案に思う


昨日、安保法案が可決されました。

なぜ、こんなことになったのかすごく不思議です。
さっぱり分からないけれど、でも知りたい!

それは、誰かを批判して分離するためでなく、
理解して自分のなかで統合するために、です。

そこで、いろいろ考えてみました。

与党は、国のためと言ってはいますが
大半の民意に背いて行った強行採決は、
やっぱり、国のためでないと言わざるおえません。

では、この強行採決は誰のためかというと…。

やっぱり自己(与党自身)のためなんでしょうね。
それしか思いつきません。


さて、あらゆる自我の目的は、
自分というアイデンティティーをより良く長く
存続させることにあります。

党という集団も例外でありません。
組織・集団にも、一つの自我があるのです。

もちろん、個人が集まって集団(一つの自我)が出来るということは、
集団(自我)は実は幻想ということでもあります。

個人がバラけたとたん、集団が消えるとすれば、
自我は幻想なのです。


さて、与党を守ってくれるのは、日本国民ではありません。
少なくとも、与党自身はそう考えたのでしょう。

そして、自分の味方は外国つまり同盟国だ、とも。

しかし味方のはずの同盟国も、もちろん自我があります。
ということは、やはり興味があるのは自己の存続だけです。

なので、その同盟国に守ってもらうためには、
与党もそれなりに良いものを渡さなくてはいけません。

かくして、その政党は自身の存続のために、
日本国民を外国に売りつけた…。


今回の安保法案可決は、
きっとそんなところではないでしょうか。

で、今後もその方向に加速度的に動くと思われます。
なぜなら、それがこの党の
そもそものアイデンティティーだからです。

では、どうしたらいいでしょう?

個人個人が、社会的なマインドコントロールを抜けて、
個人の幸せなあり方を追求すること。

組織にマインドコントロールされ、
来もしない未来、得ることもない未来の報酬のために、
自分の意見、命、幸福を受け渡さないこと。


それが大事だと思うのです。

たとえば…自分があと1日しか生きられないとしたら、
何をしますか?

未来の幸せのためにお金を貯めこむことも、
未来の安心のために誰かから奪うことも無意味です。
そして、未来の自国繁栄のために誰かを殺すことも…。

もはや時間は待ってくれません。
たったいま、幸せにならなくてはいけないのです!
なら、あなたは何をしますか?



未来のために、人は満足することなく、
お金、食料、資源、土地を巡って争ってきました。

未来には果てがないので、未来を考えれば考えるほど、
物がいくらあろうが足りないのです。

それはまるで、沈みゆく豪華客船上で、
人々が場所の奪い合いをしているかのようです。

本当は、今しか楽しむ時間がないのに、
未来のために、陣地の奪い合いに忙しいのです。

すべての陣地と、きらびやかな金品を独り占めにしてから、
未来をゆっくり楽しもうという訳ですが…

でも実際には、明日には
この船は沈んでいるかもしれない!!




もし、たった今、楽しむだけなら、
他人と戦う必要がありません。

たった今にフォーカスするなら、
全てを手に入れなくても十分なのです。


1人の体は小さいし、必要な場所も食べ物も少なくてすむから…。
今しか考えなければ、みんなと十分な豊かさを分け合えるのです。


飽くことのない陣取り合戦で、
足元の船が沈むことに気づきもしない人類。
いや、沈みゆくことがわかっていてなお、
仲間に陣地を取られるほうが、嫌なのかもしれません。

船を沈むに任せ、全てを失うか、
足るを知り、みんなで協力して船を立て直すか。

どちらを選びますか?


そして覚えていてください、
私たちは組織という自我を形作る、個人だということも。

そして、一人一人が、本当に組織に同意しないなら、
強固に見える組織でさえ、幻想に還ってゆくことを…。



本日は63位でした(^_^)
拍手と応援、いつも有難うございます!!(^_^)

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電力と命


黒澤(黒斎)さんのブログをみていたら、
「命(電力)」と書いてあって、
そうだよねー!と嬉しくなったので書きます。


といっても、これは、前から書きたいと思ってて
すっかり忘れていた事なんですが…。


子どものころ、とても影響をうけた漫画に、
ダークグリーンという作品があったんですね。

以前、ダークグリーンについて書いた記事↓
◾︎今だから読んで欲しい!◾︎


今、この漫画を読もうとすれば、電子書籍ぐらいだと思われます。
なので、読む機会も限られているので、
ネタバレしても…いいかしら…?(^_^;)

も、もちろん、これから読む人は、面白さが激減するので、
ここから先は読まないでくださいねー m(_ _)m ヘコヘコ

ではでは…。
いきますよ。


ある日、人類が共通の夢を見はじめました。
それは戦いの夢で、そこで戦いに敗れて死ぬと、
現実でも死んでしまうという恐ろしいもの…。

当然、この夢を人は悪とみなします。



はい、いいですかー。
ここから激しくネタばれします。























では、いきますよー


しかしその夢は、植物の集合意識が、
人類の環境汚染から、
植物自身、そして地球を守るため、
創りあげた精神世界だったのです。

直接的には、人類に働きかける手段を持たない彼ら(植物)が、
ヒトへ精神方面から影響をあたえ、
破滅を回避させようとしていたのでした。

しかし、そうとは知らない人類。
夢の中の敵、ゼルと有利に戦うべく、
戦いに有利な人間を創り出します。

それが、夢の世界で生みだされた人格である主人公。

普通の人のように、肉体があるわけでもなく、
なので現実へ目覚めることも出来ないまま、延々、夢世界で戦い続ける彼。

はじめ、出生の秘密を知らない彼は、
現実に自分の肉体があると信じて、夢から目覚めようと努力します。

けれどやがて、秘密を知って激しく苦悩するのです。

肉体など無く、夢の中で生きつづける精神体としての自分。
人類のため、戦闘マシーンとして創られた自分…。

さらには、この夢世界が出来たのも、
もとはといえば、人類が地球環境を壊したためだということも、
知ってしまいます。

人類の、自らを滅ぼす愚かな行いで、この夢世界が生まれ、
その夢世界から、愚かな人類を救い出すべく戦う自分…。

自分とはいったい何なのか!

答えが出ないまま、ずっと苦しみます。

ある時、やはり彼と同じように
夢の中に居続けていた、不思議な少女が死んでしまいます。

彼にとって唯一、自分の仲間かもしれないと思っていた少女…。

その激しい痛みの中で気づくのです。

人はみんな、本質は同じかもしれない…と。

外側が違うから、反応も行動も性格も違ってみえるのだ、と。

肉体があり、現実社会で幸せに暮らす人間も、
単なる精神体として、夢世界で戦う自分さえも、
結局のところ、同じなんだ!


実は、彼は他人の肉体を借りて、
現実を体験したことがあったのです。

その時、言われたことを思い出します。

「あなた、そんなことも、忘れちゃったの?
懐中電灯もラジカセもストロボも、
卓上掃除機もリモコンも時計も、
同じこの乾電池で動くのよ!」

「でも、違うじゃないか、光ったり、音を出したり、動いたり…。
同じ電池なのに、なぜ違うことが出来るの?

そして、ようやく気づくのです。

滝が、常に違う水であっても、同じ形を保っていられるように。
機械が、別の働きをしていても、同じ電池を使っているように…。

人間だって、
肉体、環境、個性を外してしまえば、
みんなみんな、一緒なのかもしれない、と。



さて…。
カルマとは、この外枠のことなんです。

かつての精神世界や、宗教は、
外枠をなんとかしようと努力するものでした。

外枠(性格、行為)を変えることで、
生きるのを楽にする(徳を積む)という発想です。

それは言わば、カルマを返すために今を消費する、ということ。
そして、その努力でさえも、さらなるカルマを生む可能性があって、
そのカルマ返済のために、また今を消費する…。

このように、物事や外枠に注目する物の見方は、
二元論と呼ばれます。

そして、そうではなく、
真実を観つめることが、一元論なのです。
それは「一つの本質(命、電力)を観る」こと。

奇跡のコースなどは、
私たちが当たり前に、二元論でとらえている世界を、
一元論の見方で見ようとする訓練です。

カルマの幻想性を見抜き、本質を知る。
「行為者」ではなく、「在る」になる。

その時に、他者と自分の境がなくなります。
とりもなおさず、それは他者や自身との間で生まれる軋轢がなくなるということ。

その時にやっと人類は、
地球や自らを貪る事がなくなるのかもしれません。

…願わくば、環境が壊れるよりさきに、
人類が気づくのが間に合いますように、と思わざるを得ません。



さて、話は変わりますが、
ときどき、主人公リュオンの言葉を思い出します。

人間…か…

よろこび、悲しみ、つらいこと、楽しいこと、
良いこと、悪いこと、重要なこと、つまらないこと、
優しいこと、厳しいこと。

何十億の人々が、この同じ時の中で、
一つ一つのドラマを織りなし、
幾重にも幾重にもこの世界でリアルな時を…。

…うらやましいな…


外側から見たなら、どんな人生ドラマであろうとも、
貴重で、羨ましいものかもしれない、と時々考えるのです。



本日は81位でした(^_^)
みなさま、いつも有難うございます♪
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