私の興味ある、悟りについての話や、スピ系の講演の感想、ヒーリングの体験談などを書いています。
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名前という個別化と術
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きゃー、年末の忙しい時とはいえ、
かなーり間が空いてしまいましたね、汗汗。
どもども、すみませんでした〜(^◇^;)

さて、朔旦冬至の次の日である23日に、
tomokoさんのスプレーワークショップに行ってきました!

で、9月も行ったワークショップだし、
ブログに書くことがないかな、と思ってたのですが、
ちょっと興味深い事があったので、書いてみます〜。

ちなみに前回行ったときのお話はこちら。
◼︎tomokoさんのスプレーワークショップ◼︎

さて、今回、参加者が6名でしたが、
たまたま、お一人がこのブログを読まれていて、
なおかつ、私がホーリーバジルの種を差し上げた方だったことが分かりました。

おおう、縁ですね〜。

でもその方が、言いづらそうに、
「ええと…イメージではよっし〜さんは、
もっと落ち着いてらっしゃる方かと」ですって。(;^_^A

おおー、なんたること!

ということは、
リアルよっし〜は落ち着いていない!!
という事ではないですかっ!
アラフォーになるまで生きてきて
まったく気づけないなんて、なんたる不覚ー! Σ( ̄□ ̄;)

よっし〜史上、大悟なみの気づきを得た瞬間でしたっ。

……。

あ、いや、
書きたかったのは、そんなことじゃなくっ!

ほ、本題に入りますー。(^_^;)ゞ

さて、今回のスプレー作りのベースは、
tomokoさんが作った、
ピンクメタモルフォーゼスとエレスチャルの
エリクサー(石の波動を転写した水)でした。

ちなみに、このエリクサーのエネルギーは「龍神と女神」だそうです。

今日のワークショップは前回同様、
エッセンシャルオイルに関する説明を受けたのち、
各自、自分に心地よいと思ったオイルを選んでブレンドし、
各自オリジナルのスプレーを作ります。

また今回、私と友人のdekoさんは
人へのプレゼントとして、
追加で、プロテクト用のスプレーも作りました。

私は治療師をしている受けやすい友人へ、
dekoさんは、巫女体質のお母様へのプレゼントです。

さて、tomokoさんは、
dekoさんのお母様と面識があるため、
お母様へのリーディングはスムーズでした。

「お母様、体が弱っていてね、
それに引きずられる形で魂の部分でも弱っているみたい」
そう言いつつ、お母さんにあうエッセンシャルオイルを選んでいます。

しかし問題は、まったく面識のない私の友人です。
「うーん、よっし〜さんの方はどうすればいいかなぁ。
とりあえず、その方の生年月日と名前を教えて」

しかし、私の友人は、ネット上の知り合いのため、
実は、私も名前しか知らないのです。

そのため、はじめは出来るかなぁという感じのtomokoさんでしたが、
いざリーディングを始めるとびっくり!
「あ、ローズマリーが3滴で、レモンも3滴だね。で、メリッサが1滴で…」

迷う素振りもみせず、一気にすらすら、
5種類のエッセンシャルオイルを選び出しました。

おおー凄いー!!

びっくりしている私に、
「この方のハイヤーセルフがとても強く繋がってきたの。
よっぽど、このエネルギーが必要みたいよ。」ですって。

さらには、「ローズマリーがプロテクションで、
レモンが活性化、メリッサが魂の傷の癒しで、
ベチパーがグラウンディングと保護、
そしてフランキンセンスが全体のエネルギーのまとめだよ」
とまで説明してくれます。


さて、皆さん、オイルを選ばれたあとは、
エタノールとエリクサー水を混ぜれば、ひと通り完成です。

最後にラベルのシールを渡されるので、
ここに各自、作った日付だのスプレーの名前だの、
製作者である自分の名前を書いて貼ります。

私は、ラベルなんかあとで分かればいいや、
くらいの意識しかないので、覚え書き程度です。

だから、入れたオイル名と制作日はちゃんと記入しましたが、
本来、製作者を書くべきSignatureの欄に、
エリクサーのエネルギーだという「龍神と女神」の文字を
ささっと書きこみました。

でも、さすがにプレゼント用のスプレーボトルには、
きちんと書きたかったので、
空白のラベルをもらい、家で丁寧に書くことに決めました。


さて、こんな感じで、
みんなのスプレーがラベル張りまで出来上がりました。

spray


最後の仕上げに、tomokoさんが一つずつ、
各自に合わせたエネルギー調整してくれます。

しかし、私のプレゼント用のボトル、
つまりラベル無しボトルを握ったとたん
tomokoさんが、こう言ったのです。

「あ、よっし〜さん、やっぱりこれダメみたい。
名前を付けてくれないと、エネルギーが入らない。
やっぱりラベル書いてもらえる?」

「ええっ、そういうものなの?!」

「なんだか、そうみたいよ…。
名付けて完成させないとエネルギーが入らない。」

まじでー?
エネルギーの世界って、ちょう不思議だー。

急いでラベルを書き、
エネルギー調整をしてもらいました。

ただ、エネルギー調整にしても、そのボトルに関しては、
他の人のものより、
どうも時間が長くかかる感じです。

誰かが「ボトルによってかかる時間が違うんですね」と話しています。

すると、そのボトルを握っていたtomokoさんが、
「うーん、困ったな。どうしようかな」とつぶやき始めました。

「今、その方と繋がれたんだけど、その人についている黒いものが、
わーってこっちに来ちゃってね…。
今は困っちゃうな。」

幸い、そのスプレーを使って、
なんとかその場を収めた様子のtomokoさん。

でも、見知らぬ人に、名前だけで繋がれちゃうなんて、
エネルギーの世界って、やっぱり不思議で何でもアリなんですね!


さて、エネルギー調整後、
tomokoさんは、そのエネルギーの解説もしてくれます。

私のボトルの時の説明では、
「よっし〜さんのために、
龍神と女神が作ったという感じのエネルギーになってるよ」と教えてくれました。

「ええっ、それってもしかして
サインの所に、龍神と女神って
書いちゃったせい?


「うん、たぶんそうだと思う」

ええー、ラベルがエネルギーにそんなに影響するの?!
そんなことなら、プレゼントの方のボトルにもそう書けばよかったなー。
しばし後悔する私。



それでね。
書きたかったこととは、ここの部分なんです。

名前だけで繋がれたり、
名前がないせいで、エネルギーが入れられなかったり。

また言葉や書きいれた文字で、
それに則したエネルギーが発動されたり。

それって、一体どういうことだろう?


…そうか!

個別化が出来て、ひっかかれるタグ(つまり名前)さえあれば、
その対象に、エネルギー的な干渉が出来る
のか。

きっと、それがシャーマン的な術のベースかもしれない!

そしてそれは多分、時間と空間を超えて効くもののはず。

本来、そんなものは無いはずだからです。

もちろん時間と空間が、繋がるのに障害になるという常識があるから、
そうでない現実が成り立つんですね。

…さて。

術をかけるには、
名前がある(個別である、もしくは方向性がある)ということが
大事だと思いました。
だって、個性があればこそ、名前がつけられるわけですしね。

例えば、エネルギーも、
方向性があってはじめて、名前(個性)がつけられます。

例えば、光のエネルギー、愛のエネルギー、喜びのエネルギー。
それらはみな、似た性質のエネルギーですが、
名前が違うことで、方向性もやや異なることに気づきます。

つまり「方向性があるということ」
それはイコール「ワンネス・全体性でない」
ということ。

つまり分離していているものだからこそ、
名前や個性があるものなんですね。

よっし〜は、よっし〜と名前が付いている以上、
ワンネスとは区別されたものです。

また、ずっとワンネスに近い高次元の存在でも、
イエスやミカエルなどと名付けられた時点で、
ワンネスの無個性とは、違う存在になります。

でも、個別化しているからこそ、
意図して繋がれたり、助けを求めたりも出来るんですね。

名前をつけるというのは、個別化、差別化すること。

名前をフックにして、対象をとらえ、
それに方向性のあるエネルギーを送って望む方向へと導いたり、
それらから望む質のエネルギーを引き出したり…。

それが、陰陽師や密教行者たちがやっていた、
呪術というものではないかと思うのです。

ゲド戦記では、人々は呪術にかけられないよう、
真の名前を隠して通り名で呼び合いますが、それも納得がいきます。
(ただ、通り名でも、十分フックになると思いますけどね…)

まぁ、呪術などというと怖い気がしますが、
個別化するということは、たぶん悪いことではありません。

全体であれば、一方向に進むことができません。

一つのエネルギーしかなければ、
好みのエネルギーを選択することもできません。

黒斎さんがいうように、
最善という一つ道しか選べなかった神が、
さまざまな道を選びたかったとすれば、
個別化は必要なことなのです。

これによって、私たちは意識的に、
好きな物やエネルギーや道を選んで
体験することが出来るようになりました。

望むエネルギーを選び、そうでないものを避ける…
この行為こそ、広義での「術」
といっていいのかもしれません。

はてしない物語に書かれていた
「汝の欲することをなせ」という言葉。

それをするために、分離し個性ができ、
望む世界を具象化する手だてとして、術を使う私たち。

しかし、距離や時間があれば繋がれないとか、
超能力などない、という常識があるため、
表面上、そんなことは出来ないという風になっているだけかもしれません。

ちなみに、私もまったく霊感もないし、
エネルギーも分からない人間です。

でもね、以前、
tomokoさんにカルサイト球に意図付けして繫がってね、と言われたため、
ちょっとやってみたのです。
ぜんぜん、出来ている実感はなかったですけど…(;^_^A

で、この日、出来ているかどうか、
tomokoさんに確認してみたところ…。

そしたら「チャクラと石に太いパイプが出来ているよ、
やれば出来るじゃん、
笑」ですって、わーい!

こんな風に、自分ではわからなかったとしても、
きっとみんな、スピリチュアルな術をかけているのだと思います。

でも、どうせやるなら、
無意識にネガティブなものを発するのでなく、
意図してポジティブな術を使いたいものですよね。(^_^)


さて、ワンネスに近づけば近づくほど、
全体性、無個性、総体になっていきます。

つまり、全体・総体である以上、名前(フック)がなく
術をかける対象になりません。

だからこそ、名前がないボトルには、
tomokoさんはエネルギーが入れられなかった…。

もしかすると、そういうことなのかもしれませんよね〜。

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本日は96位でした♪
皆さま、いつも有難うございます!
ではでは、良いお年をお過ごしくださいませ♪(^O^)/
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魚を求める子に、蛇を与える親はいるか? 3
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新宿など大きな駅では、
見知った道からちょっとそれるだけで、
すぐ方向感覚を失う私…。

そんな駅で、時おりびっくりすることがあります。
それは、止まっている電車に乗りこんだ時。

帰りなら、この方向に進むはずと固く信じていた電車が、
唐突に、逆方向に進みはじめるのですっ。

その時の驚きたるや、もうはんぱありません!!

「か、帰りたいのに
どこに連れて行くんだあぁぁ~!」と、一瞬まじ焦ります(^_^;)

むろん、電車が逆走するはずもなく、
よっし~の方向感覚がズレ過ぎなだけですけどね…、汗

何を隠そう、この前の日曜も新宿でびびってました!
(何度行く場所でも、入る改札が違うだけで
もう方向音痴になれてしまう、すんごい能力が私にはあるのです…)


方向音痴おそるべし!

ま、そんな残念よっし〜はさておき、
本題に戻りまーす。

宇宙は友好的か否か?

そんな、根元について問うことが、
なぜ大事かといえば、
自分にぶれない芯を作るためです。

揺るぎない基準が定まれば、
迷いやすく流されやすいスピリチュアルの世界も、
自分で審神者(さにわ)することが出来ます。

そのためにしっかり地に足を付ける事が大切なのです。

何か物を測りたいと思った時、
自分がぶれていないことは大切でしょう?

例えば、岸辺の木の高さを知りたくても、
揺れる小舟に乗っていては、正確に測れません。

つまり、周りをきちんと把握するために、
地に足を付けた、ぶれない視点を持つ必要があるのです。



ちなみに今は、私たち一人一人は、
他者が作り上げた世界観(その多くは恐怖に由来しています)を
土台に生きています。

そして、通常の社会的な組織でも、
宗教やスピリチュアルな団体でもそうですが、
多くの組織(または力ある個人)は、
それらの世界観に乗っかった形で人々を支配しています。

彼らは、無意識もしくは意図的に作った世界観で、
人々をとらえ(もしくは魅了し)、エネルギーを奪っているのです。

その良し悪しはさておき、
個人がそれに気づき、自覚することが大事です。

その上で、それらに同意するかどうかを各自が判断するのが、
今の時代は大事だと思うのです。

これほどまでに、地球環境が危なくなった時代だからこそ…です。


『汝の欲することをなせ』

「はてしない物語」に書かれている、この象徴的な言葉。
主人公バスチアンは、これをエゴのために使って、破壊を招きました。

しかし、自分(もちろんエゴでない方の)に主導権を取り戻し、
本当に望む道を進んでいる感覚を取り戻す、という意味で使えば、
この言葉は、むしろ調和をもたらすのではないでしょうか。

つまり自分が、本当にやりたいことをする事が、
結局は周り(人間関係、地球環境など)を守ることに繋がるのでは、と。

ちなみに何から守るか、というと…。

それは、自身(エゴ)の恐怖に由来する自虐行動からです。
貪っても貪っても、なお満たされない欠乏感からです。

しかし、したいことが分かる前に、
世界観や思考の洗い直しが必要で、
その審議をするためには、ぶれない視点が必要になります。

審神者するためのぶれない視点とは、
真理とは何かという理解でもあります。

例えば、宇宙は友好的なのか、そうでないのかという事もそうです。

そのどちらを出発点にするかで、
生き方そのものが変わってしまいます。

えーと、終わりそうもないので
また続きまーす、汗汗


ええと、ちなみに…。
間違った視点からは、
行きたい場所にたどり着けません。

なぜ、それがわかるかといえば…
地図を見つつも、
目的地と真逆に力強く進む、よっし~
だから言えるのですっ!
…それでどれくらい辛酸を舐めたことかっ (T^T)g

ええ、まさに体験者は語る…でした、
お、おそまつさまぁ〜〜(^_^;)

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本日は46位でした♪
拍手とボタン、押してくださる方ありがとう〜♪
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魚を求める子に、蛇を与える親はいるか? 2
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寄生獣のアニメがやっていたので、見始めました。

寄生獣の影響で、無感情になりつつあるはずなのに、
静かな教室で「ばかやろー!!」と怒りを爆発させ、
周りをドン引かせるしんいちくん
が、好きです。
つか、もうちょいTPOをわきまえなさいってば、笑

でもやっぱり、グロい部分は、
けっこうダメージきますぅ〜(;^_^A


さて、前々回の続きです。

アインシュタインの言葉に、
「実際、科学が答えを求める唯一の問いは
『宇宙は友好的な場所なのか』ということだ」

というのがあるそうです。

この宇宙は、究極的にみて愛に満ちた場所なのか、
そうでなくて悪意に満ちた場所なのか?

それが科学が追い求める、究極の問いだというのです。

でも、これは科学がというよりは、
宗教はもとより、
世界や人生、自分に対して疑問をもつ人にとっても
重要な問いだろうと思います。


ごく普通に考えれば、人生は苦しいものです。
生老病死、四苦八苦。
全ては変化するし、自分も愛するものも、
やがては滅んでしまいます。

だから、そこから発想するなら、
世界は悪意に満ちている、という結論になっても
当然かもしれません。

実際、そう考えて戦っている人たちもいます。
神は愛であると謳う宗教や
スピリチュアルの世界でさえ例外ではありません。

宗教戦争などはわかりやすい例ですし、
そこまで極端でなくとも、
多くのスピ系のブログでも、そういう発想が見受けられます。

相手は悪霊だったり、悪い宇宙人だったり、
間違った(と信じる)教えやスピリチュアルリーダーだったり、
自分自身だということさえあるでしょう。

残酷な世界から大事なものを守るために戦う。
そういう思想は、なにも間違った事でないと思うものの…。

でも、それはやはり、大いなる宇宙の中で紡がれる、
たくさんの物語の一つにすぎないのではと、私は思います。

つまり、宇宙の真理と、
人間が現実に対して信じている真実は、
別物ではないか
と思うのです。


わかりやすく例えると、人間が信じる真実は、
たくさんの映画が流れるシネマコンプレックスで上演される、
一映画に似ています。

つまり、一つの映画には、外せないルールや世界観がありますが、
映画館自体には、なんの影響も及ぼせないでしょう。

アクション映画にはアクションものの、
ドタバタコメディには、ドタバタコメディのルールがあり、
それから抗うことが出来ませんが、
それを上映している映画館は、そのルールに縛られることはないのです。

そして今は、一つの映画の真実を探りたいのではなく、
映画館について考えたいと思っています。

映画館、つまり私たちを成り立たせている大元・宇宙は、
善意から成り立っているのか、
悪意で成り立っているのか、ということです。


うおー、なんだか小難しくなってきたので、
次回に続きます〜(^◇^;)ゞ

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