私の興味ある、悟りについての話や、スピ系の講演の感想、ヒーリングの体験談などを書いています。
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状況は問題ではない、私のあり方が問題だ
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ちょっと前の話ですが。
本当に微々たる金額ですが、
人気ブロガー、ノラドラさんが行っている、動物保護活動の支援をさせて頂きました。

青い鳥動物愛護会 公式ブログ◼︎青い鳥を求めて…◼︎

そしたら、手作りのストラップをいただきましたっ!

aoitori2.jpg

ちょっと、写真が黄色味がかって、綺麗に見えないけれど…。
本物はキラキラして、ほんとうに綺麗です。
どうやって作ったんだろう??

そして、彼女のブログに数回コメントしただけの私に、
手書きのメッセージまで、いただきましたっ!

aoitori1.jpg

すごいお忙しいかたなのに!(>_<)
ノラドラさん、
本当に有り難うございました。
m(_ _)m


〜・〜 ・〜・〜・〜

さて、この間、久しぶりに黒斎さんの月イチに行ってきました。

そこで改めて感じたのは、
「エゴ(自我)は、現象界をコントロールできない」ということ。

いや、これは、黒斎さんのトークで話されたことではなく、
私が勝手に感じた事ですけれど…。


黒斎さんのブログにもありますが、
ここ数ヶ月の間に、彼には沢山のハプニングがあったと言います。

おそらく私だったら、すごく苦しむレベルの話です。

だからこそ思うのです。
自我は外界をコントロールできない。

もちろん、そう言うと(私を含め、)嫌な気分になる人も多いと思います。

というのも、外界を上手くコントロールするように、
私たちは教育されてきたし、
外界を思い通りにするために、頑張って生きているからです。

スピリチュアルという分野でも、その努力が見て取れます。
「引き寄せ」が常に人気であるのは、そのためです。

パッケージ(一般社会 or スピリチュアル)こそ違うけれど、
中身(生き方)はまったく同じ、という訳です。

しかし…。

目覚め体験をしている黒斎さんであっても、
辛いように見えるハプニングは起こるわけです。

また、千里眼を持つ超能力者であっても、
なぜか自身のことだけは、わからなかったりします。

この世は、ゲーム。
思いもよらないハプニングがあるからこそ、
ゲームには面白みがあるというもの…。

だから、この世で生きているかぎり、誰であっても、
ゲーム性(非コントロール)からは逃れられないのです。

でも、恐ろしい事や苦しい体験は回避したい、と自我は切実に思います。

だから、この世を完璧にコントロールが出来る方法が
どこかにあるに違いない、とささやくのです。

ここにはないけれど、
ヒマラヤ奥地あたりや、悟ったヨギならその方法を知っているだろう、
もしくは、宇宙人だったら…というわけです。

その希望がある限り、私たちは努力をし続けます。

皮肉なことに、
その希望が失われたとき、悟りが訪れる…らしいですけれど。(^_^;)


さて、外界をコントロール出来ないとはいっても、
覚者は苦しみません。


その辺りが、凡人と違う部分だと思います。

黒斎さんも、もちろん、多少は苦しんだでしょうが、
おそらく、私が苦しむのと、レベルが違うと思います。

バシャールの言葉に、この真理が見て取れます。
やっぱ、バシャールはすごかとです!

状況は問題ではない。
私のあり方が問題だ。


Circumstances don't matter.
Only my state of being matters.


望むリアリティを創り出すマントラ 1/2


自我は、目に見える現象界のみで、幸不幸を判断します。
だからこそ、私たちはそれを得ようと
がむしゃらに頑張っているのです。

しかし、自我が理想とする現実は、必ずしも叶わないし、
エゴが望まない状況は降りかかってくる…。

仏教でいう、求不得苦です。


よく、この世は神のゲームだ、と言われます。

しかし、エゴが感じているように、
そのゲームが楽しめないんだとしたら、
いったいゲームに何の意味があるでしょう。

状況にかかわらず、楽しむことができる時…。
あなたは神そのものである、
と言えるのかもしれません。


苦しむ自我と同一化するのをやめ、
神の想い(この世を楽しむ事)と完全に一致しているわけですから…。

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本日の順位は59位でした!
しばらく更新していないのに有難すぎますっ、押してくれていた貴方はマジ神ですっ!
…あ、えーと…真理的にいえば、押してない人も神なんだけどねっ (^_^;)
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TVゲームと現実 〜創造の相似点〜
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ずっと前から消えていたスーパーセブンが
今日、洗濯ネットから出てきました、ホッ ε=( ̄。 ̄;)

石好きには、あるあるネタですね、うふ♪(←ねーよっ)

そういや前回、タイトルに「〜1」と銘打っていたので、
2を書くつもりでしたが、
だらけモードなので、違うことを書いてみます。

今日は、だらけていた訳ですが、
だらけて時間を潰そうと思えば、今は何でもありますよね〜。

テレビ、映画、ネットなどなど…娯楽はいっぱい。

でもこれって、すごく不思議じゃないですか?

だってね、みんな、効率よくしよう、
余分な時間を増やそうと、躍起になっているのに。

しかし、さまざまな娯楽は増えてゆく一方…。
それが、時間つぶしだとわかっていても。


でも、それが必要とされているんでしょうね、
心を忙しくするために。

そしてね、忙しい=リア充じゃないってことも、
やっと気づきましたよ…(;^_^A


というのも、私も、仕事が忙しくて大変なのですが、
休みになるとね、もうだーらだらな訳ですよっ!

世間さまが用意してくれた、ネットやテレビなどを見てねっ!

だからこそ、思うのです。

日ごろ、仕事が忙しい人ほど、
空いた時間を充実して使えない気がする…。


やるべきことは、いっぱいあるのにぃ〜。

考えてみれば、忙しいっていうのは、
大抵は、周囲から急がされているわけです。

なので、自主的に動いている感覚はない訳ですよね。

やらされている、規制されていると感じてるわけで、
それが外れれば、反対のこと、だらだらしたくなるってのも当然。

ダイエット後のリバウンドみたいですね。

でも、だらだらしてれば、心が癒されるかと言えば、
肉体的な疲労はともかく、精神的にはそうでない…。

時間を無駄にして、結局虚しくなる。

この罪悪感は、
タイムイズマネーという価値観からくるのでしょう。


まぁ、この価値観も幻想っていったら、幻想でしょうけど。
(だって時間をつぶす娯楽に溢れてるんだもん)

そして、自主的に生きてこなかった(指示に従うばかりだった)ために、
自分のために上手く時間を使うことすら出来ない…。

これも、だらだらしてしまう要因だと思うのです。


さて。

今はしていませんが、
むかしは、RPGゲームが好きでした。
…まぁ、反射神経が無いため、RPGしか出来なかった、
というのが正解かもしれませんが…(^_^;)


ただ、いくら面白いゲームでも、一日中やったりすると、
その後はなぜか虚しくなりました。

この価値観はタイムイズマネーという…(リピートなので、以下省略 (^◇^;))


それにしても、コンピュータって
つくづくすごいな、って思います。

コンピュータが一般的でなかった時代を知っているから
よけい、そう思うのかもしれませんが。

コンピュータの最小単位、bit。
無いか有るか、それだけの二つの情報。

その最小単位が複雑に組み合わさることで、
無限の世界が構築されてゆく。

素人の私には訳がわかりません、
この二つの情報が、
ざまざまな色、音や音楽、アプリケーションプログラムに変化するなんて。

たとえば、初期のRPGは、
平面的なドット絵だったし、
主人公もキャラクターというよりは、アイコンといった感じでした。

それがあれよあれよと言う間に、ドット絵が3DCGになり、
キャラクターもアイコンでなく、表情までわかるイケメンになり…。

物語も、単純なものから、複雑なものに変わってゆく。
内容もさまざま、恋愛ゲームから、ファンタジー、身の毛もよだつホラーまで。

でも、どれも元をただせば、単なる0と1の組み合わせにすぎない。

超単純なものから、超複雑なものへ。
そして、いまや、触感や匂いまでコンピュータで再現しようとしている。
五感まで網羅するなら、さらにリアルになる仮想空間。


…なにかに似ていません?

コンピュータでは、bitという最小単位。

いっぽう、現実では、素粒子という単純な要素。
それが物やエネルギー、そして人間さえも創りだしている。

そして、この現実には、
人の数と同じだけのストーリーが作られていて…。


現実という、壮大なストーリーの中でも、
私たちは、同じような夢を紡ぎます。

コンピュータの中で、bitを組み合わせて、
さまざまなバリエーションの仮想現実を…。

劇中の劇、鏡の中の鏡。
なんという壮大な暇つぶしでしょう!


そして、ゲームの中では、
恐ろしいホラーが間違いで、
ほのぼのした恋愛ゲームが正解ということもありません。

どちらも単にbitが紡ぐ夢。そして素粒子が紡ぐ…。

…もちろん私は、幸せな夢がいいですけどね。


科学をもって、神を超えようとしたがる人類。

私たちがワンネスから分かれたというなら。

私たちのやりたがることは、
けっきょく、神と同じことでも不思議じゃない
のかもしれませんね。



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自分の為に生きるということ 1
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以前書いたテーマの続きです。
「やりたいことが分からない ~表現を抑えられた私たち~」
「マニュアルと自由のはざまで」


よりよい社会、地球にするために、
自分のために生きるという事が重要ではないか、と感じています。

それは、前に私が書いた
全体性に貢献しよう、と矛盾するようにもみえます。

しかし、自分のために生きるとは、
エゴイスティックになれという意味ではありません。


実は、純粋に自分のために生きることは、
他者への貢献になるのでは、
と思うのです。

このことについては、後で書きますね。


さて、社会は「自分の為に生きる人」には否定的です。

なぜなら、それは他者のことを考えない、
自分勝手な行為とされているからです。


ミスチルのヒット曲、Tomorrow never knowsの中でも、
それをうかがい知ることができます。

この主人公は、世間が思う「自分の為に生きる人」の
イメージだと思うのです。


♪ 無邪気にひとを裏切れるほど、
何もかもを欲しがっていた。
分かり合えた友の愛した女でさえも

今より前に進むためには争いを避けて通れない。
そんな風にして世界は今日も回り続けてる ♪



己の欲望のままに、他者を犠牲にして生きる。
そして、他者を傷つけるがゆえに、自分も傷ついてしまう。

それが、自分の為に生きるという事なのだ。

もし、そのように生きるならば、
誰もが不幸になるだろう…。

だから、他者のために生きなさい、
自分を横におき、他者や組織のために生きなさい、
それが崇高な生き方です、と社会は言います。


しかし…。

本当に好きなことをしたら、
他者を傷つけることになるのでしょうか?

それよりも前に、
私たちは、肝心なことを見逃していないでしょうか?

自分のものだと思っている欲望のほとんどは、
世間やマスコミといった、外部から植え付けられている、ということに。

競争社会のトップに立ったり、
他人の持っているものを欲しがること…

それが本当に自分のやりたかった事だと、
確信を持って言えますか?


それとも…。

それは誰かが「それが出来たら凄い」と言ったから、
やりたくなっただけではないでしょうか?



さて。
このように個人的な欲望と、世間的な欲望があるわけですが。

この社会的な欲望にそっていれば、個人的な情熱でも推奨されますし、
そうでなければ評価されません。

その違いは、その行為がお金や力(権力、人気、尊敬)を生むか、
どうかにかかっています。

社会は「個人がやりたい事」がお金や力を生めば評価します。

しかし、「純粋にやりたい事」は、
金銭的な利益に結びつくとは限りません。

そんな、物質的な利益のない行為は、
世間では、時間やお金の無駄と言われます。


たとえば、フランス国王、
ルイ16世は、錠前作りが趣味だったそうですが、
その趣味だと、周りの貴族からはあまり評価されなかったでしょう。

しかしもし、彼が戦争上手で、
土地やお金を、他国から奪うことが上手かったら、
ヒーローとして称えられたと思うのです。

また、こういうことでもあります。

私は一時、一人カラオケにはまっていました。
これは、何も生み出さないので
世間的に、あまり褒められたことではありません。

しかしもし、大勢でカラオケに行き、
絶賛されるような歌声で歌えたなら、
世間は評価してくれるでしょう。
(尊敬や愛を得ることは、世間では重要)


社会的に都合の良い情熱だったら、もてはやし、
そうでないものなら、無視するか馬鹿にする。

そして、社会が、くだらない情熱だと見なせば、
情熱にみなぎる子どものやる気も、
摘まれてしまう事でしょう。

こうして「やりたい事が分からない」人間が育つのです。
社会的にはコントロールし易くていいのでしょうが。


私たちの願望は、
純粋に自分から出たものかどうか?

それとも、社会の希望を、
反映しているだけなのか?

それをハッキリさせないと
自分を幸せにすることは出来ません。


もし、社会の希望を自分のものだと勘違いしたままなら、
生きることに、恨みが出てくるからです。

だって、意識ではごまかしていても、
本心では、やりたくないことをやっている訳ですからね。


例えば、アイドルなんか典型的ですよね。
AKBのメンバーになりたい子は、たぶん山ほどいます。

しかし、純粋に歌と踊りが好きという理由の人は
どれくらいいるでしょうか?

純粋に、行為自体が喜びならば、
ただ歌っているだけで幸せです。
うまく歌うことも、アイドルになる必要だってありません。

しかし、もし、成功や人気を得ることが目的であれば、
歌を歌うだけでは不幸です。

だって、行為が目的ではないからです。
やらされているだけだからです。

そして、常に争い続けます。
なぜなら、世間が刷り込んできた願望は、狭い価値観だからです。

門は狭いのに、
欲望だけは植え付けるので、通りたがる人は山のよう。

だから、人生が激しい競争になったとしても、
苦しみに満ちていたとしても、なんら不思議ではないのです。

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いつも、いつも応援有難うございます♪ \(^o^)/
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マニュアルと自由のはざまで
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数日前のことです。
チャリを走らせていると、ずっと向こうに散歩をしている
第一村人発見。(うそです、都民です)

それ自体、どうってこと無いですが、
な、なんと、その人は、
右に、巨大黒もふもふ、
左に、巨大白もふもふ
を従えている…。


その色といい、揃った大きさといい、もふり具合といい…。
シンメトリー具合が抜群!!

ここまでするからには、あの人、
ただ者じゃありませんね…。(-_☆)キラーン!!

全日本もふもふ協会会長補佐代理を自認する私は、そう直感しました。

そして、もふり物が何かを確かめるべく、チャリを急がせたのです。

結局、黒はバーニーズで白はグレートピレニーズでした、
ふう… ε=( ̄。 ̄;)
(←分かって満足した)

しかし、犬種名の最後が「ズ」というのまで揃えるとは、
末恐ろしい飼い主です…。

……
……はっ!
し、しつれい、完全に趣味の世界におりましたっ!

ここは、ペットブログではなかったですねっ

ちなみに、バーニーズって見た目がとても好みなんですが、
超病気になりやすい犬種だそうです。

一時期、数頭にまで減ってしまい、血が濃くなってしまったんだとか。

バーニーズ飼いのお客さんが、
有機野菜(犬用)を買いながら、教えてくれました。

そこのバーニーズ君も、何回も大病をしているそうで。

見た目、超丈夫そうな犬種なのに、大変だなあ…。

〜・〜・〜・〜

さて。以前書いた、
「やりたいことが分からない ~表現を抑えられた私たち~」の続きです。

なんか、最近、まったくスピ系じゃないですけど、
すんませんです〜。(^◇^;)ゞ



さて、学校の教育で学ぶことは、
楽に生きるためのマニュアルがあるというものです。

ある規則にさえ従えば、
幸せになれるので努力しましょう、という。

勉強をしていい成績を取りましょう、いい学校に進みましょう、
良い会社に入って、高給とって、一生安泰に暮らしましょう。

そうするには、この道を進めばいいです、
だから、各自で考えなくて大丈夫!!


それは、裏を返せば、こういう話でもあります、
「その道から外れたら不幸ですよ」という。

まるで、きっかり決まった一本道のよう。
正道にいれば幸せ、外れたら不幸せ。

なんとステレオタイプで、考える余地のない、白黒決まった思考でしょう。

単純明快さという点において「負け組」という言葉は、
それを端的に言い表していると思います。

学歴がない、外見が綺麗でない、職場が大企業でない、
お金持ちじゃない、若くない、
ある年齢でパートナーがいない…などなど。


その人たちは、正道からはずれている、
つまり不幸で負け組だというのです。

しかし、本来、それらの属性は
幸福感とは無関係
です。

心底楽しそうに笑う幼子を見てください、彼らは幸せです。
しかし、勝ち組ではありません、
もちろん、負け組でもありません。

大人は、集合意識が作った
狭い思考の檻に入っています。


そして、その思考が、
「この状況は不幸である」と言うなら、それを信じるのです。

だから、客観的にみて、物質的に豊かな人であっても、
自分は不幸だと、周りと見比べて思ったりするのです。


思考の中だけで、幸不幸が決まる大人たち…。

実際、今、自分が何を感じているか、
というフィーリングには、あまり意識を向けません。

しかし、皮肉ですよね。

思考の中でなく、感じること、
つまりフィーリングの中に、
本当の幸せがある
のですから…。


さて、思考上での不幸せ(根拠のない欠乏感)は、
空想上のものなので、何かで埋めることができません。

だから、みんな、そこはかとなく、いつも不幸です。

(ただ後進国のように、物資の少なさゆえの欠乏感は、
得ることで満たされる事もあります。)



さて、この一本道という規則・マニュアル。

もちろん、このマニュアルには利点もあります。

それは、道が整備されているので、
それを使えば、効率的に目的地につくことができる事。

また、なにか不都合があっても、その道のせいなので、
自己責任がなくて気楽です。

(例えば、制服は、毎日服装を考えなくてすむし、
万一制服のセンスが悪くても、それは自分のせいではありません。)

欠点はというと、つまづいた時に、迂回路がないことです。

つまり、従う事しかしなかった私たちは、
他の道を開拓する、ということが出来ません。

だから、無理をして一本道に突き進むか、
そこで動けなくなるしかないのです。

(過酷すぎる労働でも会社を辞められない、
もしく体を壊すまで仕事をしてしまう…などなど)


鳥かごと、規則・マニュアルはとてもよく似ています。

自由が制限される代わりに、外部の危険から守ってくれます。

そして、自由がないということは、
選択肢が少ないということでもありますから、
逆に楽に感じたりもします。

しかし、鳥かごから出てしまえば、
行動の結果はすべて自分の責任です。


鳥かご =国、社会、規則、マニュアル
親や家柄、常識といったものや、
時代そのものが、鳥かごである、
という場合もあるでしょう。

もちろん、それらは、けして悪ではないです。

かごの中でも、さしたる疑問ももたず、
一生を過ごせた時代もあったでしょう。

そして、それはそれで良かったのでしょう。

しかし、震災がおきて、私たちは知ってしまいました。

「生」とは、マニュアルや規則に沿う、
一本道では無かったと。


言う通りにすれば、幸せになると約束してくれた学校や社会。
城壁のごとく鉄壁で、
揺らぐことはないと信じていた、それらのもの。

3.11以降は、それが、砂上の城のごとく、
ある日突然崩れる可能性があるのだと、
どこかで感じてしまったのです。

揺るぎのないと思っていた大地も、
もはや自分を支えてくれないかもしれず、
心地よかった風も、
いつか暴風となって襲いかかってくるかもしれません。

そこまで思い至って、はたと気づくのです。

マニュアルに従いすぎてしまったゆえに、
自分自身に頼ることが、もはや出来ないという事に。
生きることに、自信が持てないということに。


で、また話は前回に戻って、
第一と第二チャクラが弱い現代人、という話になる訳です…(^_^;)

長くなりそうなので、続きます…。

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今日、思ったこと
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しばらく、表現、自由と規則(マニュアル)について
思ったことを書きたいな、と思っています。

私たちは、誰しも、自由を欲しているように思えます。

しかし、根底では、規則、マニュアルを求めている部分があり、
それゆえに、他者や社会に縛られる、という状況が起きています。

こうした深層心理をはっきり見てゆかないと、
「欲していないのに、縛られている自分」という被害者意識を
持つことになります。

そして、被害者意識があれば、
それだけで、現状を変えることが難しくなります。

しかし、もし、
「それは自分が欲していたのだ、だからその状況を得ている」
という理解に変われば、好ましくない状況を変化させることも、
簡単になるのでは、と思うのです。

誰かの責任ではなく、
自分主体の考え方になるから
です。


…と、いうようなことを書きたいと思っていたんですけれど…。

小保方さんのスタップ細胞の会見がやっていて、
そちらを書きたくなりました (^_^;)

あの騒動の釈然としない、気持ち悪さはなんでしょうね…。

もちろん、私は小保方さんが不正をしたかどうかは、知りません。

しかし、集団が個人を叩き潰そうとする、
あの異様さに恐ろしさを感じます。

まず、マスコミが持ち上げるだけ持ち上げ、落とす時は落とす。

そして、チームで研究していたものだろうに、
理化学研究所は、彼女一人を徹底的に叩きつぶそうとする。

「スタップ細胞は存在している、
そしてそれを世の中のために役立てたいのだ」


そもそも、理化学研究所が名誉を回復したいなら、
彼女のそんな言葉に耳を傾けるべきでした。

しかし、もはや、ここでスタップ細胞があるとわかったら、
逆に、理研の立場がないでしょうね。
ここまで小保方さんを悪者にしてしまったわけですから。

私は、スタップ細胞があるかどうかはわからないので、
真偽を判定することはできません。

しかし、組織というものは、
エゴの特性を如実に表しているな、とつくづく感じました。

理研にしても、袴田事件の警察に関しても、それを感じます。

エゴ、分離。
全体性に貢献するのではなく、
個(組織)を守る特性。


個を外部から守る、つまりどこかしら恐れを秘めているので、
危険を感じれば、外部への攻撃に転じます。

個を守ることが最優先で、全体性を見ることが無いので、
フェアさ、公平さに欠けます。

そして、理論的でない。
感情論で動くので、理論や合理性に欠け、
どこかしら釈然としないのです。



さて、話は変わりますが…。

以前にも、紹介した人気絵日記ブログで、
動物保護支援の呼びかけがされています。

とても素晴らしい活動だと思うので、
もし興味がありましたら、見てくださいね♪

◼︎ノラ家の日常・非日常◼︎
私たちの会。


ブロガーのノラドラさんは、はじめ、人間の問題を差し置いて、
動物愛護活動を優先するのはどうかと思う、
と思われていたそうです。

小さな問題よりも、大きな問題を解決するべきだ、
というのは、誰しもが思う考え方です。

しかし、スピ的な観点で言えば、
大きな問題とか、小さな問題とかは、あまり重要ではありません。

この世は幻想であり、規模の違いというのは、
様々な違いを楽しむための、オプションに過ぎないからです。

小さなことに思えることも、大きなことに思えることと、
本当は全く同じ。


ただ、規模の大小があった方が、ストーリーに広がりが出来て、
楽しいことに間違いはありません。

「酔っ払いの喧嘩を仲裁する、飲み屋のおばちゃん」よりも、
「銀河系でのスターウォーズを止める、飲み屋のおばちゃん」の方が、
何だか凄そう、
みたいなものです(?)

(なぜ、飲み屋のおばちゃんなのか…それは聞かないで。
…だって、思いつかなかったんだもん(^◇^;) )

重要なのは規模ではなく何をえらぶか、です。

愛を選択するか、怖れか。
全体性を選ぶか、分離を選択するか。


スピ的見地で言えば、
自分の在り方がどうあるかが重要なので、
行動により、外部的な変化が起こったかは二の次です。

もし、外部的な変化を最優先するのであれば、
外部に変化が伴わない場合、不幸になってしまいます。

そして、この世は二極性の世界ですから、
深刻に生きれば生きるほど、
(この世界はリアルだと思えば思うほど)
善悪を基準に行動することになり、
それが、敵と味方を生み出し、分離と孤立感を強めてしまうのです。

かくして、正しいもの同士の戦争が起きてしまう…。


まぁ、それはともかくとして、
ノラドラさんの活動は、愛と全体性に貢献する活動だと思います♪

ノラドラさんのブログ応援のクリック(小さい規模)でも、
動物保護活動参加(大きい規模)でも、
どっちも同じように素晴らしいと思うので、
興味がありましたら、ぜひぜひ応援してみてくださいね〜( ^ω^ )

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本日の順位は29位でした~♪
前回は愚痴だけだったのに、すんません&ありがとうございます♪
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ごめんなさいっ、PCの愚痴です~(^_^;)
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XPのサポート終了にともない、
パソコン購入を考えなくてはいけなかった私。

3月はじめにようやく重い腰をあげました。

はじめに目をつけたのは、チラシに載ってた、11万くらいのPC。
スペックがすごく良いけれど、旧モデルだから安いらしい。

しかし、休みに買おうと数日待ったら、売れちゃった…。

価格ドットコムで、同じPCを調べたら、
最安のものでも、それより値段がやや高め。

しかも、その値段のものもすぐ売れ、
毎日毎日、安い値段のものからどんどん売れていく。

私と同じように、
間際購入を焦る、XPユーザーがいっぱいいた様子です (;^Д^A

10日ほどたつと、そこでも15万くらいのものしか残ってませんでした。

…つか、これじゃ最新モデルとほぼ同じ値段じゃん!

だったら最新モデルの方がいい~!

ってことで、最新モデルが、旧モデルになって安くなるであろう
5月頭まで、PC購入を待つことにしました♪

しかし、その前にXPのサポートが終わるので、
1ヶ月間はPC使えませ~ん!

だからブログも更新できませーん!

…と言いたいところですが、タブレットがあるので、できます(^_^;)ゞ
(でも、文字うちが面倒…。あと写真も載せられないけど…)


しかし、です!

最近気付いたのです…。

私が、今使っているPCは、XPだけでなく
ViataのセットアップCDもついていたことに…。

これ、Viataも載るパソコンだったんだ、
じゃあ、もしかして?


外付けのハードディスクにViataをインストールして、
それを起動ディスクにすれば、XPのデータを消さずに、
Viataも使えるようになるかも!

Viataで立ちあげたら、XPのサポート終了後もこのPC使えるよ!

(注:パソコンに詳しくないため、変なこと言ってたらゴメン…(^_^;))


でね、やろうとしたけれど、
今のデータが消えたらまずいので、初バックアップをとることにしました。

ほぼ、データのバックアップがとれたであろう1時間半後…。
最後に、あるダイアログが出現しました。

「利用可能なフロッピードライブがありません。
ASR回復ディスクを作成できませんでした。」


??
今どき、なぜフロッピー?

てか、このパソコン、フロッピーディスクのドライバーだって付いて無いんですが??

困ってネットで調べたら、同じ質問をした人がいて、
外付けのフロッピーディスクドライブを買えとのお答えを貰っていました。(^_^;)

いいもん、いいもん。
こうなったら、買ってやるぅ!

ヨドバシカメラに急ぐと、
店員さんいわく「フロッピーディスクドライブは取り寄せです」と…。

専門店にないなんて、
やっぱし、超レアなんじゃん、
今どきのフロッピーディスク!


なぜ、バックアップというメジャーな行為に、
必要なのだぁぁぁ~!!(T_T)ダー


…ということで、バックアップすら出来ない、ヘタレな私は、
Viata & XPのハイブリッドパソコンを作ろうという、
無謀かつ、高慢ちきな夢を捨てた
のでした。

でも、今どき変すぎるよね~!
フロッピーディスクが必要なんてさっ!


愚痴&ジャンル違いな内容で、ごめんなさい~!
この心のさけびを、どこかで叫ばずにはいられなくて~~(´Д`;)ゞ 

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本日の順位は25位でした~(^_^) いつも有難うございます♪
今回は愚痴だけで、ごめんね~。
次回は、前回と同じく、表現というテーマで書くつもりです~


追記: みずまきさん、もしお返事が行ってないようでしたら、
ご連絡くださいね。フリーメール同士だとなぜか行かない時があるようです。
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やりたいことが分からない ~表現を抑えられた私たち~
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香取神社の帰り、高速バスでtomokoさんの隣になりました。
そこで、彼女と話していて、感じた事を書きます。


それは・・・。

私たちは、自分が表現できていない。
そして、生きる基盤ができていない。


ということです。


私が、今の仕事を辞めることを考えた時、
痛切に感じたことがあります。

それは日本では、
一人で自立して生きられるような教育はしていない、という事です。

私が今、習っておけばよかったと思うのは、
個人でやる起業の仕方とか、
何か緊急時があったら、野山でどうやって生きればいいかなどのサバイバル術です。

何かあっても、自分で生きられるのだ、
という自信を与えてくれる教育です。

それをtomokoさんに言ったら、
「それは、第一チャクラと第二チャクラだね」と教えてくれました。

なるほど、たしかに私の弱いチャクラ。

そして、ここは大地に根ざす、生きる土台になるチャクラです。

私たちは、教育によって、ここを脆弱なものにされ、
社会に頼らなければ、生きられないようにされているのかもしれません。


自分のやりたいことをやることでなく、
相手の意を汲んで、沿う行動のみが評価される日本の教育。

それは、自分の気持ちを無視し、
相手のニーズばかり考えること
です。

例えば、美術で絵を描くにしても
「先生が褒めてくれるような絵」が目標とされます。
表現したいものを自由に表現する、というのは後回しなのです。

だから「やりたいことが分からない」という大人がいてもおかしくありません。
自分を抑えて、他者のニーズに応えることばかり考えていた訳ですから。

そしてある時、体が悲鳴を上げます。
ちょっとは、自分の心と体のニーズに応えて!
でないと体が壊れてしまうよ!


もしかしたら、日本人にうつ病が多いのは、
そのせいかもしれません…。

石の声を聞くとか、そういうのに憧れていましたが、
そんなものより、本当にやるべきなのは
体の声を聞くこと、感じることなのかもしれません。

そして、自分を表現すること。
周りの期待や評価、物質的な見返りも求めずに。


しかし、今、教育や社会で求められているのは、
他者の声を聞くこと、期待に応えることです。

相手が何を求めているかを察し、
いかに提供できるかという能力が、お金を生むことにも繋がります。

そして、自分のやりたいことをやる事は、お金を生まないし、
生活にはならないと信じています。


だから、日本人が幸せでなくても、
仕方のない
ことかもしれません。

自分のためでなく、他人やお金のために生きているのですから。
そして、生きる土台、自信も奪われているのですから。


第一チャクラと、第二チャクラをしっかりさせる生き方。
自分は、なんとでも生きられるんだ、という自信を持たせる教育。


こういうものを習っていたら、
日本人の自殺率は、これほど高くなかったのではないでしょうか。

だって、自殺などの極端な行動が起こるのは、
それ以外に、選択肢がないと思っているせいですから。

そして、過労死が起きてしまうことも、
仕事を解雇されての自殺も無くなるはずです。

人々に選択肢さえあれば…です。

そして、もし選択肢があったなら、ブラック企業は次々と潰れてゆくでしょう。
社員がつぎつぎと辞めてしまうでしょうから、笑

しかし現在、ブラック企業はもちろん、
変な組織や政府が、当然のようにあります。

なぜなら、それに依存しなければ生きていけないと思っているからです。
意図的に、視野を狭くさせられているからです。

もし、心の片隅にでも、
自分でなんとか生きていける、という自信さえあれば、
違う選択も出来たはずなんです。

そして、人々に、もし違う選択ができていたなら、
日本から原発など、とっくに消えていたかもしれません。

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本日の順位は34位でした~(^_^)
みなさま、ほんとうに応援有難うございます~m(_ _)m

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