私の興味ある、悟りについての話や、スピ系の講演の感想、ヒーリングの体験談などを書いています。
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お金と苦しみ5 ~好きなことで稼ぐ~
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まず始めに、ホーリーバジルの種をご希望の皆さま、
有難うございます。(^_^)

ご連絡いただいた方には、全員メールしましたが、
万が一、メールが届いていないという方がいらしたら、
ご連絡くださいね。

種は、明後日の水曜日に発送しますので、
もう少しお待ちください。

また、まだ種の余裕がありますので、
他にも、ホーリーバジルの種が欲しい方がいましたら、
ご連絡ください♪


さて、「お金と苦しみ」シリーズ、最後の記事です。
やっとって感じです、引き伸ばしすぎて、ごめんなさい〜(>_<)

前回の記事
◾︎お金と苦しみ 1◾︎
◾︎お金と苦しみ 2◾︎
◾︎お金と苦しみ 3◾︎
◾︎お金と苦しみ 4◾︎


黒斎さんは、無理に稼ごうと意識しなくなった、と言います。
かわりに、黒斎さんのお金に対する見方は、こう変わったそうです。


「人生を良くしたいなど、様々な目的を持っている人に、
僕はこういう形(月イチ☆などの講演)で、応援をします。

もし皆さんが、その活動に有難うと言ってくれて、
感謝を形で示すのなら、それがお金なんです。

僕としては、
『二千円ありがとう』(月イチ☆の講演参加費は二千円)
で十分なので、『五千円ありがとう』は頂きません。


さて、物を購入する場合、感謝できるもの、
応援したいものについてお金を払います。

そして、そうなると、
値切るという感覚がきえていくんです。

それじゃあ、逆に、自分が収入を得る立場になることを考えたら
どうなるでしょう。

どうやったら、
みんなが応援をしてくれるだろう、

という発想になるんです。

自分がそれをやることで、みんながワクワクしたり、
世の中が良くなりそう、と思って貰えるような活動。

そういう事に対してなら、人は気持ち良くお金を払います。
そういうことをやろう、と思えるのです。


だから、自分のしたいことで
お金を得るというのは、
すごくナチュラルで、シンプルなこと
なんです。

自分がやりたい事をし、
それを応援してくれる人が出てくるということ。

そんな自分の応援団が出来てくると、
生きる事に不安がなくなってきます。

それにもし、応援されないとしても、
その活動は求められていないのか、
じゃあ別のことをしよう、と切り替えられます。

それに、やりたい事で稼ぐと言っても、
必ずしも、自分の好きなことじゃなくていいんです、
自分が出来ることでいい。


なぜなら、自分が特別好きと思わない事でも、
みんなが感謝してくれると、好きなことへと変わってゆくからです。

みんなが、感謝したり、
凄いことしてるね、と褒めてもらうと、どんどん好きになってゆく。

たとえば、僕ですが、
自分が、文章を書く仕事をするなんて思ってもみませんでした。
文章を書くことは、好きでもなく、得意でもなかったんです。
むしろ、本を読むことさえ嫌いだった僕。
それが今では、本を書いているんです。

で、今どう思っているかというと、嬉しいし楽しいし、
好きなことをやっている感覚なんですよね。


人はそれぞれ、得意なことがあります。
それをやればいいんです。

ただ、自分が当たり前に出来ることって、
凄さがわからないもの
なんです。
だって自分では簡単に出来ることですからね。

これが、他人の特技だったら、気づけるんです。
あの人はこれが上手だなぁ、と。

でも、自分の事だと分からないし、
だから、その能力を活かそうという感覚も生まれない。

ただ、それを出来ない他人にあってはじめて、
ああできない人がいるんだって、分かるんです。

でも、それも違うんです、
相手が出来ない人なのではなく、
本当は、自分が出来る人なんです。


だからあなたが、当たり前にできることをして、
その中で、みんなが感謝したり、
応援してくれることが一致すると、
自然とお金の流れができる
んです。」



もし、そうなれば、
お金を得る人、お金を渡す人ともに幸せな気持ちで、
生活することが出来るわけですね。

今までは、死なないための活動として仕事をし、
死なないための費用、つまり生活費としての、
お金を稼いでいましたが…。

これからは、仕事とは、
真に生きる(活きる)ための活動になるのでは、とよっし~は思うのです。

そう、仕事とは人を活かし、
そして、人として生きることを楽しむための、純粋な活動です。

もちろん、それくらい人間の意識が高まれば、
人権のベースとして、
生きることへの完全な保証が出来ているはずでしょうが。

働かざるもの食うべからず、ではなく、
生きているかぎり食う資格あり、のように。

そして、働くことは、純粋な楽しみ、
自他への貢献、そして喜びになるのだと思うのです。

本当に、早くそうなるといいですよね!!

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本日は46位でした♪
いつも応援と拍手、有難うございます〜(*^_^*)
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お金と苦しみ4
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ちょっと前の記事、「お金と苦しみ 2」からの流れなので、
その時の記事を一部、引用しますね。

引用〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

さて、先月の「月イチ☆」で、
「好きなことをして稼ぎたいのですが、
好きなことが何か、どうやって稼げるかわかりません」
という質問が、観衆からあがりました。

それに対して、黒斎さんは、こう言いました。
稼ぐという感覚を脇に置きましょう、と。

「稼ぐというのは、自分が何かをするという感覚です。
お金は、自分が苦労して持ってくる、という感覚。

しかし、自分の好きなことをしてお金を得ているひとは、
稼ぐという感覚が希薄です。

つまり、お金にたいする観念が違うんです。
お金はいただいているもの、という感覚なんです。


かつて、僕にとってお金は、ストレスの対価だったんです。
で、苦労して稼いだものだから、他人に支払うのも嫌だった。

そして、給料ももっと欲しかったけれど、
「お金=ストレスの対価」だから、
もっとヘロヘロになるまで頑張って、
それを、会社のみんなにアピールしていたんです。

もっとお金を貰うためには、
もっともっと頑張らなきゃ、
もっと、ストレスを溜め込まなくては!

もちろん、お金持ちに対しても肯定的じゃありませんでした。
だって、お金は苦労の対価なのに、
彼らは、苦労もせずに、お金を持っていますからね。

でも、もちろん、すごく苦労したお金持ちなら、
認められるし、尊敬できるんです。」


引用終わり〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

上記のように、
お金はストレス、苦痛の対価であった、と黒斎さん。

しかし、新しい時代になると、
お金に対する、私たちの考え方が変わるというのです。

スマホで、通信の規格3Gから、LTEへ移行し、
通信速度が増したように。
お金の価値観だって、
3GからLTEに変わるのだと、黒斎さんは言うのです。

今までお金に対して持っていた価値観は、
3G(義務、犠牲、我慢)でした。
それが、これからは、
LTE(Love Thanks Enjoy)になると言うのです。


「以前は、お金は僕が苦労して稼いでいるという、
家族に対してふんぞりかえった姿勢でした。
稼ぐというのは、自分の嫌なことをして、もらうお駄賃だったんです。

お金とは、自分が痛い思いをした証拠のもの。
だから、そう簡単には渡せないし、がめつくなる。」



もちろん、お金=苦痛の対価、というのは、
黒斎さんだけの考え方ではありません。

幸い黒斎さんは、あまり言われないそうですが、
同じような仕事をしている人たちが、
必ずもらう意見で、こういうものがあるそうです。

「神様のメッセージを発信して、
世の中を良くしようとしている人が、金をせしめるって何なんですか、
なんで無償でやらないんですか」


これは、「お金」=「苦痛」という発想があってこそのもの。
良いことをするのに、
人々の苦痛を要求するとは何事か、
という訳です。
ここには、お金は感謝である、という発想が欠けています。


それと、これは黒斎さんが言っていた事ではないですが。
お金を稼ぐ=自らの苦しみ、なのだから、
他人の苦しみも、仕方ないと思うようになります。
こうして、自他に対する苦しみが
正当化され、蔓延する
世の中になるのです。



でも、お金って、本当に苦痛の対価にすぎないんでしょうか?

会社員だったときの黒斎さんは、
もっと給料が欲しいなら、もっと苦しまなければいけない、
と無意識に思っていました。
自分がもっと苦しめば、もっとお金が貰えるんですね、
じゃあもっと、苦労しましょう、と。

「そういう思考でいるから、
自分が物を買う時にも、
『あなた、それに対してどれだけ苦労して作ったの?』って
買う物に対して、無意識に換算していたんです。

原価や原材料、技がどうか、ではなく、
『あなた、それをどれだけ苦労して、誠実にそれを作ったの?』とジャッジしていた。

で、同じ金額なら、苦労なしに作れたものなら高い、
逆に、すごく苦労して作ったものなら安いと、判断していたんです。

安いとは、つまりそんなに苦労しているのに、
その金額でいいんですか、っていう事です。

しかし、『安い感覚』をよく見てみると、
そこには感謝が含まれています。
つまり『こんなに苦労したものを、
こんな金額でいいんですか?』と思う事には、どこかに感謝がある。」


そして、会社と社員の関係にしても、それは当てはまります。

苦しめば給料が上がるんだ、と社員が思っていたとしても、
支払う側、会社からすれば、
社員が苦しんだから、じゃあお給料を上げましょう、にはなりません。

「実際には、働いて成果をあげてくれて有難う、が給料です。
つまり、ここでも、お金の本来の働きは『感謝』ではないか。

ならば、その『感謝』だけでいいのではないか。
いままで、無意識に相手に対して要求していた、
『苦痛や苦労』は不必要なのではないか。」



さて、あらゆる仕事、サービス。
それらは全て代行業ということに、気づいたといいます。

「それらは、自分がやってもいい仕事なんだよな、と。
野菜を食べたければ、野菜を育てればいい、
家が欲しければ、家を建てればいい。

でも、自分がやれないことはないけれど、
もっと上手に出来る人がいるなら、その人に任せた方がいい。
そういう意味で、全部の仕事って代行業なんだ。

で、その代行業をやってもらうんだったら、
代わりに、純粋な「有難う」を渡せばいいんだ。」
(「自分の苦しみ」としてのお金を渡すのではなく。
そして「相手の苦痛」としての作業を要求するのでもなく)


「そうすると、すごくね、
お金が回るって感覚が体感としてわかるようになったんです。
ああ、お金とは、本当に有難うだったのかもしれない。
それとね、応援なんだと。

それは、寄付などの可哀想という感覚ではなく、
頑張って下さい、という気持ちです。

今までは、「君の苦労に有難う(無意識に、相手に苦労を要求している)」でしたが、
そうではなく、純粋に応援と感謝の気持ちで、
お金を使うようになったら、とても気持ちいいんです。

そして、そういう心構えでいると、
お金の必要性もだんだん無くなっていくんです。

今までは、お金がないとあれが出来ない、
これが出来ない、と思っていました。

でも、お金は単純に感謝の気持ちにすぎない、と分かったら、
最悪、お金を払うことが出来なくても、
お金以外で感謝を示せばいいんだ、ということに気づいたんです。

それに、そこまでして欲しいものは、どれほどの物だろうと思ったら、
がめつくならない自分も生まれました。

そして、お金=有難う、になったとき、
どこで何を買うかも、はっきりしてきたんです。

物をどこで、何を買うかも、有難うに繋がってゆく。

つまり、物を買うというのは、その企業や人に、
感謝とともに、あなたの活動をこれからも続けて欲しいです、ということ。

もし、その人のやっていることに対して、
単純に感謝できないなら、購買に繋がりません。
応援しないということです。

感謝できる人へは、応援する気持ちとお金がゆく。

そして、自分の応援しているその人が頑張ってくれれば、
自分の理想とする社会構造に繋がってゆく
ことになるのです。」


そして、もちろん、お金持ちへの妬みや偏見も無くなります。

お金を持っているということは、
皆が応援したい人、皆から多大な感謝を受けている、
尊敬すべき人になるからです。

長くなったので、
もう一回だけ、続きます。(^_^;)


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本日は30位でした〜!
いつも応援と拍手、有難うございます♪\(^o^)/
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木と葉っぱ
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こんなに更新できていないのに、
皆さん、ランキングボタンを押してくれて、本当にやさしか~(T_T)

でも、無理はしないでくださいね~
あんまり更新できてないので、ほんとに申し訳なかとです。

でも、つーことはあれっすね!

けっこうな人数、金星衛星人が居たわけですねっ!

こうなったらあれですね、
地球に、金星衛星人帝国をつくって、
みんなで、地球を守りましょう!!

なーんちゃって (^_^;)

こんな事を書くと
本気にする方がいるかもしれないので(いないか…)
ちょっと真面目モードになりますね。

スピリチュアルの萌えどころ(??)として超能力や霊能力とか、
前世というのがあったりします。

でも、ぶっちゃけ、前世とか、どうでもいい事だと思うんです。

皆さんも、前世では、クレオパトラのような美女だったかもしれないし、
ソロモンのような賢い王様だったかもしれない。

でも、そうだったとしても、しょせん儚い夢です。

前世とは、この現実と同じくらい実在だけど、
現実と同じくらい幻にすぎません。

だから、私が金星衛星人というのも、幻です。

だいたい、私は宇宙人という自覚もないし、
UFOだって見たことがないし〜 (見たいよ〜誰か見せて〜)


どんなドラマも火影の夢。

電源が落とされた映写機のように、
華やかな物語も惨めな物語も、一瞬にして、銀幕から消えてしまいます。

それを見つめる存在を除いては。

物語を超えて存在するもの、
在りて在るもの、それが私たちです。


火影に夢中になれば、
「在る」というリアルを逃します。

それは、3Dアートで、平面をみると立体視は出来ず、
立体に注目すれば、今度は平面が見えなくなるのに似ています。

「自分は日本人」というアイデンティティに固執していれば、
「中国人」や「アメリカ人」が目立ってくるように。

すると、彼らが、自分と同じ存在(人間)だという事が見えなくなります。

かくして、地球資源や土地の取り合いが起こる…。

不思議なもので、どこにアイデンティティを置くかで、
行動もずいぶん変わってくるのです。



何が言いたいかというと…。
私は金星衛星人であり、
それと同じくらい金星衛星人ではありません。

もっと正確に言うと、個性のない存在そのものです。
そしてそれは、私たち皆がそうなのです。

前世や超能力、霊能力など、スピリチュアルの特殊性に夢中になっていれば、
それを見つめる、不変的かつ当たり前の存在こそ素晴らしいのだ、
という事実を逃します。

もちろん、人生を楽しむスパイスとして、前世や超能力に
夢中になる分には一向に構わないのですが。

でも、どこかで作り物にすぎないと知っておくべきです、
でないと、自分より優れた何かを神と崇めたてて、
その奴隷になってしまうかもしれません。


……。
でも…でもねっ!


かといって、
なりたければね、金星衛星人になれたりもするんですよ?

ほらほらっ、そこっ、そこのボタンを押してみ?
これで、あなたも私も、金星衛星人!
みんな一緒だ、わーいわーい♪

そこのボタン、笑 →air_rank[1]


…こほん。

ま、くだらないことはさて置き…。

tomokoさんのクリスタルリーディングを書くまえに、
その情報源について、よっし〜が感じたことを書きます。

いや、情報源というより関係性ですかね。
石の情報とワンネス、
そして私たちの顕在意識とが、どのような関係になっているのかという…。

まぁ、私の憶測も含まれるので、
話半分で聞いてください。


前に、黒斎さんが月イチ☆で、
「だって、雲さん(黒斎さんの守護霊)は一人じゃないもーん。」と
言っていたことがありました。

かといえば、黒斎さん=雲さんみたいな話もするし、
私は、よく分からなかったんですね。

で、ある時、「雲さんは誰か」という事について、
ボブ・フィックス氏は「雲さんはメルキゼデクだ」と答えたらしいのです。

私と同じく、黒斎さんもよく知らなかったらしいですが、
メルキゼデクってのは、
宇宙連合のメジャーな大人物
(ヒトかな?)らしいです。

で、この間、木の絵を黒斎さんが書いてくれて、
そういう事か、と理解したのです。

これは、雲さんと黒斎さんの関係性です。

Ki to Eda

木と枝葉。

太い幹がワンネス、葉っぱは、個人個人。
細い枝は、雲さん。

葉っぱは、時間がたてば落ちてなくなりますが、
だからといって、木の命が失われた訳ではありません。

そして落ちた葉も、やがて木の養分になります。

私たちは自分を葉だと思っている、木そのものです。
しかし、葉だと思っているので、
輪廻転生のような現象があるように思えます。
(葉が落ち、そしてまた芽吹くような)

で、細い枝が雲さんだとすると、
太めの枝がメルキゼデクじゃないかな、とよっし〜は思います。

雲さんは、黒斎さん以外の人にも、降りてきているようですが、
細い枝には、いくつも葉っぱがついている訳で、納得です。

また、雲さんが複数だというのも、
細い枝、中くらいの枝、太い枝を、全て雲さんととらえれば、
納得がいきます。



で、話はもどってtomokoさんです。
tomokoさんは、彼女の愛猫、ケケちゃんと話したりもします。

そして、ケケちゃんは、猫とは思えない崇高な事を言ったりします。

tomokoさんは言います、
「動物と話せていいなって言う人がいるけれど、
そういう人は、このコは何を欲しがってるかとか、何が嫌いとか、
そういう事を知りたい訳でしょ。
でも、私が繋がるのは、そこの部分じゃないんだよね。
石と同じような繋がり方だと思うの。」


つまり、人間でいうハイヤーセルフの部分なんじゃないかな、と思うのです。
絵では、小枝もしくは大枝に当たる部分です。

たいして、アニマルコミュニケーターと言われる人たちは
もっと表層意識に繋がっていると思います。

志村動物園に出てくるハイジさんなどが、そうじゃないかと思います。

だから、もっと遊んで欲しいとか、どこが痛い、などということが分かるのですね。
絵でいえば、葉っぱの部分、自我の部分。

それに対して、tomokoさんの石とのコミュニケーションは、
もっと上の部分、枝の部分のレベルだと思うのです。

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本日の順位は27位でした。
20位代なんて、なんてもったいない~。((((;゜Д゜)))いつも、みなさま有難うm(__)m
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マスターとメッセンジャーと勘違いさん
最近、黒斎さんの講演記事を書いてないので、
黒斉ファンの方は、つまらないですよねー(^_^;)

そんな、小心者の気の利くよっし〜なので、
書いてみることにしました〜。

今回は、これが分かると、
より精神世界の理解が深まるかな、という話にします。


題して、マスターとメッセンジャーと、
明らかな勘違いさん。



精神世界で、メッセージを発信している人には、
上記の3タイプがある、と黒斎さんは言います。

まずは、勘違いさんの解説からしますが、
その前に「精神世界」について説明しなくてはなりません。

「精神世界」は、非常に曖昧なジャンルだといいます。

厳密に言えば、「宗教」でも、
「オカルト」でも、「自己啓発」でもない。

そして、微妙に違うそれらを、
渾然一体に合わせたものが「精神世界」と呼ばれています。

なかでも、「自己啓発」と「悟り」は、似てはいるけれど、
根本的に違うと言います。



例えば「上手くいかない考え方を変えて
(ポジティブになる等)楽しく生きよう」というのが自己啓発。

もちろん、自己啓発を理解し活用する分には、
それは間違いじゃありません。

しかし、もしそれを「悟り的な考え方」を使って、
「自己啓発的な成果」を得ようとすると、
全く結果が伴わなくなってしまう、
と言うのです。

だってそれらは、逆の方向性を持つものだから。


例えば、引き寄せの法則。

これは本来、宗教性とか悟りに近いテーマなのに、
今は、自己啓発のテーマで、使われていたりします。

ちなみに勘違いさんは、必ずしも、
間違ったことを言っている訳ではありません。

問題は、
悟りと自己啓発の違いがわかっていない事
です。

つまり、違った方向性のものを、
ごっちゃにして、区別できていないのです。

なので、メッセージも、自分で体験したことで、
これは上手く行ったという事を紹介していたりします。

特徴的なのは、
ああしましょう、こうしましょうといった、
行動指針が出ることが多いこと。


(これは、よっし〜の感想ですが…。

本人に、上手く行った方法でも、
他の人には効果が出ない…そんな自己啓発の本が多いと思います。

当たり前ですよね、人間はみんな違うのですから…。

自己啓発は、何らかの行動や行為で、
人生を思うようにコントロールしよう、という考え方だと思います。

そして、この段階というのは、
多くの自己定義(言い換えれば、カルマ)を集めている段階です。

豊かな自分、力ある自分、美しい自分など、
好ましい状況を、追求し続ける。

これは、スピリチュアルとは関係なく、
ほぼ全ての人たちがやっていることだと言えます。


もちろん、人生ドラマを
楽しく美しくすることは、とても素晴らしいことです。

ただ、求めているものが、
諸行無常であり、いつかは消えるものだと分かれば、
失望するときが必ずやってきます。

例えば、熱狂していたスターが、
実は自分と変わらない人間だった、などと
失望する時のように…。

外部のものは、本当に欲するものを与えてくれないのでは?

そういう疑問が出たときに、ようやく、
人は自己啓発的なものから、悟り的なものに、
関心が向くのかもしれません。)


一方、メッセンジャーやマスターのメッセージは、
「何をするかでなく、どうあるべきか」に焦点があてられます。

なので、マスターになればなるほど、行動指針が出なくなります。


さて、メッセンジャーとは何でしょうか?

これは空(くう)を説く人。
黒斎さんや阿部さんがこれに当たるそうです。

経験上、あらゆる思い込みや、
情報を無くすことが空への道だと知っている。

だから、思い込みを捨てましょう、
自分が保有している一切の情報を捨てましょう、と教えています。

情報を捨てよという、
新しい情報を与えている。

これが、メッセンジャーの
どうにもならないジレンマ
です。

聞いた相手は、それもコレクションすべき情報として
捉えてしまうのです。


対してマスターになると
強制的にエネルギーの場として
情報を取り去ってしまう
そうです。

今生きている人で言えば、エックハルト・トール。
死んだ人なら、ラジニーシ。

(よっし〜が勝手に思っているところでは、ラマナ・マハルシ
やクリシュナムルティもそうだと思う…)



かつて、黒斎さんが、
「エックハルト・トールのビデオは凄い、見ていると眠くなってしまうから、爆」
と言っていましたが、たぶんこの事です。

情報が無くなってしまう、思考が止まってしまうと、
エゴが退屈して、結果眠くなってしまうのです。


マスターの特徴としては、自身の言葉を
記録として残さないことです。

ブッダやイエスも、弟子が記録を残しはしましたが、
自身は文書を書いていません。

なぜならば、言葉とは、
その時、その場で、特定の相手に対して向けられた、
超限定的なものだから。

だから、それと同じ言葉を持ち歩いて、
違う時代や場所、相手に当てはめようとすれば、
当然、無理や誤解が生じるのです。

(エックハルト・トールは、著書を書いていますが、
これらは誰かに向けられたメッセージではなく、
エゴの性質を説いたものです。
そういう意味で、汎用性があるといえます。)


さて問題の「自己啓発」と「悟り」の違いをはっきりさせましょう。

黒斎さんや阿部さんなどが、悟りに重要だとしているのは、
ありのままの自分を認めるという事。

自分にいたらない部分を見つけても、批判せず、小さい子供を見守る感じです。
「またやってるな、可愛い奴め、でも大した影響はないよ」と、
愛情を持って見ている。

対して、自己啓発は、今の自分を認めずに、
変えようと努力する。


自分のいたらない部分を見つけると、
「ほらこんな事をやってる、なんてダメな奴なんだ」と
自分をいじめてしまう。

ここが、大きな違いで、ベクトルが完全に逆を向いている。

「自分を変えることで、人生を変えよう」とするのが自己啓発で、
「自分を変える事ではなく、素の自分に還ること」が、
目覚めへの道だと言うのです。

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皆さまいつも有難うです〜(*^o^*)
ちなみに本日の順位は29位でした、支えてくれて有難う〜♪
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カルマとは何か~カルマを継続させたい私たち
うおお~、ちょっと忙しくなってしまいまして、
しばらく、こんなペースで更新するかもです…。(;´Д`A


さて…颯花さんと話した環境問題や、食のことについては、
重要だし、また長くなりそうなので、また書きますね。

先に、黒斎さんの月イチの講演について書いておきます。

とは言いつつ、一昨日の月イチじゃないんですよね~。(^_^;)
これまた遅くて、すんません。

一昨日の月イチに関しては、余力があったら、書きますです…。

~・~・~・~・

さて、ある女性の質問がありました。

新しい職場に勤め始めたばかりという彼女。
病院なのですが、ここで働きはじめて、とても疲れやすくなったそうです。

それは、その場の悪いエネルギーのせいなのか、
だとすれば、お勧めのガード方法とか、場を浄化する方法があるか、とのこと。


「だれしも、場の影響は受けます、やっぱり。

すっごい元気がない人でも、盛り上がっているライブ会場に入れれば、
ちょっと元気になって出てくるでしょ?その反対もある。

それと…。

この理解が大事ですが、「実はあなたはいない」んです。

わかりますか?

みんな、何となく、命が肉体をまとっていると考えています。

自分の区切りが肉体で、それより外は、自分じゃないと思っています。
でも、本当はそうじゃない。

自分とそうじゃないものの境界線がある、という思考は、
概念にすぎません。

でも、僕とあなたを遮る壁は、存在していません。

(よっし~注:だから、場の影響をみんな受けるのだ、という意味だと思われます。)

ただ…だれしも、場の影響は受けるとはいっても、個人差があります。
その差は、カルマの影響をどれだけ受けやすいかによります。

でも、カルマって何でしょう?

カルマに関しては、僕には、僕の答えがあるのですが…。

ある時、ボブ・フィックスさんに聞く機会があったんで、聞いてみました。
なんて答えるかなぁと思って、笑

そしたら、「カルマは無い」と。」

会場:「ええ~!」

「説明しますね。

カルマは静電気みたいな質があります。つまり電荷です。
プラスとマイナスみたいな、電気のエネルギー。

空間に在る、プラスとマイナスの組み合わせによって、
カルマというものが形成されたり、無くなったりします。

聖書の創世記のなかで、神様が闇の中で光を作ったって言うでしょ?
あれって言うのは、つまり、マイナスのなかに、プラスを作ったって事です。

空間を想像してください。
その中に、プラスとマイナスがごちゃごちゃある、それこそ無限に。
規則性のない、ぐちゃぐちゃになったところに、現象化があります。

ただ電気って…。
プラスマイナスが、うまく統一されてないと、スムーズに流れないでしょ?

ごちゃごちゃになっている所には、高負荷がかかっていて、
電気がスムーズに流れなくなっています。

+-++-+++
--+-+-+-
-+++--++
+-++-+-+
-+-++---
++-++++-
現象化、エネルギーの滞り


下敷きをごしごし擦れば、静電気が増えて、ゴミを吸着するように…。

カルマが増えると、日々の生活に、摩擦が生まれます。

で、「下敷きを擦る」とはどういう事かというと、
「心のざわざわ、いらつき」なんです。

心がざわつけば、ざわつくほど、
電荷(カルマ)がふえて、さらにホコリ(出来事の中の摩擦)を吸着していきます。



これに対して…。

瞑想だとか、ヒーリングだとかが、何かっていうと、
エネルギーを整理整頓してあげることです。

つまり、プラス・マイナスが整理されると、吸着のエネルギーが無くなります。
だから、余計なカルマを引き寄せるという事がなくなってくる。

生きる上で、摩擦が生まれなくなってきます。

それが、カルマに影響されないということです。

++++----
++++----
++++----
++++----
++++----
++++----
スムーズなエネルギー
 


前者にしろ、後者にしろ、電荷そのものは、増えも減りもしません。
ただ、どういう組み合わせかという違いだけ。

つまり、カルマがあるのじゃなくて、
ひずみがある状態をカルマと呼んでいる、
という事です。



さて、ヒーリングの話になりますが、
ヒーリングには二種類あるんです。

自我からのものと、空(くう)からのヒーリングです。

自我からのものは、ホコリ落としです。

静電気いっぱいの下敷きを、
パンパンって払ってあげて、ホコリを落としてあげる質のヒーリング。
「私があなたを治してあげる」という発想のものです。

これだと、ホコリは落ちますが、
静電気は帯びたままなので、
すぐにまた、ホコリが付くようになります。


空(くう)からのものは、これと全く違います。
空のエネルギーは、性質として、電荷を整えようとします。

下敷きの電荷を整理するので、静電気がなくなり、ホコリ自体が付かなくなる。

「私はパイプになっているだけです、
空のエネルギーが
あなたを癒すんです」というタイプ
のヒーラーさんです。

ただね、前者も同じことを言う場合もあるので、注意ですが、笑

で、精神科の先生っていうのは、
鬱の人などを相手にするから、無意識にガードも堅いんです。
情で関わりません。

自分を可哀そうだ、と思っている人は「私可哀そうでしょ」とアピールするし、
可哀そうだと認めてくれる人(情のある人)の所に行きたがる。

結局、『私可哀そう』は手放したくないんです。
現状を維持したがる…それがカルマ。

それに対して「本当だね、可哀そうだね」などと情で関わると、
電荷をお互いに高めあってしまうんです。

で、本当に『可哀そうな人』が出来てしまう。

だから、「どこが可哀そうなんですか?」って、聞くぐらいがちょうどいいんです。
それによって、『可哀そうな人じゃないエネルギー』がそこに生まれます。

「こういう問題があって、私大変なんです。」
「それのどこが問題なんですか?」

これくらいの方が「ハッ」ってなりやすいんです。」
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