私の興味ある、悟りについての話や、スピ系の講演の感想、ヒーリングの体験談などを書いています。
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怖れの先に…
今回は、お勧め映画のお知らせです。

明日、11月9日(水)14:00までの無料公開ですが、
気候変動に関してのドキュメンタリー映画、
「地球が壊れる前に」がネットで視聴できます。

◼︎地球が壊れる前に◼︎

地球環境に関して、レオナルド・ディカプリオが2年にわたって、
体験したことが描かれています。
95分という長い映画ですが、
お時間がある方は、ぜひご覧になってみて下さい。

ここには、石油利権の権力者たちが、
必死に、地球温暖化を隠すための圧力をかけてくる様子も描かれています。

生きる土台の地球が、今にも崩れそうなのに、
それでもなお、彼らが金銭的利益のみを追い求める様子は、
滑稽すらあります。

しかし、それこそが人を盲目的にさせる「怖れ」というものであり、
それが引き起こす行動なのです。

世界を牛耳るほどの大富豪かつ、権力者の彼らが、
何かを怖れているなんてありえないと、
私たちは考えがちです。

しかし、私たちは、知らなくてはいけません。
私たちは多かれ少なかれ皆、怖れていることを。

そしてまた、「多く持つ」ことは、
必ずしも、怖れを減らすことにはならないこと、
時として、逆に怖れを巨大化させてしまうという事も…。

歴史を振り返ってみても、権力者たちの行動は、
それを物語っては、いやしないでしょうか?


さて、「愛」の反対は「怖れ」だそうです。

統合である愛と、分離である怖れ。

スピリチュアル的にいえば、
この世界は、私たちが見ている、
「一なる存在から、自分が分離をした」という夢だといいます。

分離をした…つまり、統合(愛)ではなくなったために、
私たちは、怖れという現実(夢)を生きているのです。

この間、アースラブワークスの
ボージャイストーンのワークに出てみました。

そこでも、恐れに関する興味深い話を聞けたので、
それに関しても書いていこうと思います。
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大麻について思う
長くあけてしまって、本当にすみません!汗汗


さて、社会的にいろいろ問題が続いていますね。

なかでも、指導者たちのゴタゴタが続いている気がします。
日本もですが、アメリカの大統領選や、韓国の大統領も大変みたいですね。

これはもう、指導者に幻想を抱くな、ということなのかも知れません。

指導者さえ、盲目なのだから、
各自が目を開けなさい、という警告かもしれません。



さて、大麻の糸作り講座を習っている矢先…。
医療用大麻解禁を訴えていた有名人が、
大麻不法所持で捕まったと、テレビで見ました。

その方がマリファナを使っていたかは知りません。

でも、大麻というものは、葉っぱを持っただけでも逮捕されてしまう、
めんどくさいものらしいです。

むろん、常習性が強く、
廃人になってしまう覚せい剤などは、取り締まった方がいいでしょう。

しかし、大麻…しかも、糸作りに使うような、
薬効の全くない品種であっても、
大麻は、葉を持つだけで捕まるそうです。

実際には、薬効のある大麻でさえも、常習性はなく、
害もタバコほどではないと言われています。

また、大麻は、繊維として優れているのはもちろん、
土地を耕したり堆肥になったり、
栄養価の高い食料になったり、
石油に代わるエコなエネルギーになると言われています。

中には、それゆえに、石油の利権団体から圧力がかかって、
大麻は弾圧されているのだ、という人もいます。

それらが、本当かは知りません。

しかし、もし環境に良いものなら使うべきでしょう。
地球環境は、それほど切羽詰まっているからです。

もはや、イメージだけで、
ものを見る時代は終わったのだと思います。

私たちに、その準備が出来ているからこそ、
指導者たちの愚かしさがここまで露呈してきたのかもしれません。

トップに立つ人だから賢くて凄い。
大麻だから悪い。

そんな単なるイメージが、マスクとなって、
「本当のこと」が見えなくなっているのかも知れません。

それに、これはきっと、誰かが答えを出してくれるものではなく、
各自が問い、自分なりの答えを得るべきものなんでしょう。

社会はいまでも、消費拡大し続けないと
人類が立ちいかなくなる、とイメージさせ続けています。

でも、そのイメージを信じられますか?
地球資源の、自転車操業の果ての未来が見えますか?

さらには、他殺や自殺といった、当たり前に悪いとされていることも、
各自が考え、答えを出すべき時代なのかもしれません。

自分なりに答えが出せていないからこそ、
命というものの理解におよばず、
表面上、大切にしている風を装っているだけだからです。

もし命の本質に気づくことが出来たら…。

おそらく、ブラック企業は無くなるでしょう。
過労死もイジメも無くなるでしょう。
家畜たちも、もっと良い待遇を受けるに違いありません。

各自が、自身の内なる智恵から行動し生活する…。
そんな世界が早く来ることを、心から願っています。

あれ、おかしいな、今日こそ麻糸作り講座の続きを
書くはずだっただけどな…(~_~;) ゞ

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本当に大事なこと
今日、10月1日で新月で、スペシャルデーだそうです。
友人が言うには新しいことをやるのが良い日なんですって♪


さて、勘のいい友人たちが言うには、
私は、上(?)と繋がって、喋らされている時があるそうです。

むろん、そんな実感は全くなく、
自分の考えを喋っているつもりなんですけどね。(^_^;)

その真偽はともかくとして、
そう言われるときは、急に喋りたいことが出てきて、
とうとうと話している時なんです。

で、今日も、麻糸生みの続きの記事を書くつもりだったのに、
いざ書こうとすると、
唐突に違うことが書きたくなって困りました。

で、書いていたら、いつもと違う文調になってしまったのですが、
でも、直すのも違和感があるので、このままでいこうと思います。

次回、麻糸の記事がんばります!

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

富や知識があるかどうかは、必須ではない。

何が正しくて、間違っているかを
知っていることすら、重要でない。

何が一番、高次のスピリットガイドなのか、
誰が正しいスピリチュアルリーダーなのかも、
どうでもいいことだ。

どのパワーストーンが、自分にとって一番合うのかすら、
知る必要はない。

単純に「生きる」ということにおいては!

だから、哲学、思想や宗教など、
それらを論じるのは、単に遊びなのだ。

なぜなら、土台に「生きること」があってはじめて、
それらは成り立つからだ。

だから、喜びをもてる時のみ、それらを論じるがいい。



だが、自我は、ダイヤモンドのようにそれをもてはやし、
それ以外のことを、道端の石のように邪険にする。

それはまるで、ダイヤのために、
鉱夫を使い捨てる、鉱山主のようだ。

こうして、勘違いをした自我は、
ダイヤ(と信じたもの)のために
他者や自身の「生きること」を、犠牲にしてゆくのだ。

それは、命を奪うといった極端なものだけでなく、
皮肉や非難、罪悪感やいじめのような形をとったりもする。



だが、そんな思考ゲームも、ぱたりと止む時がある。

自身や家族が、生命の危機にさらされたり、
日々の生活に追われているときなどだ。

心に余裕がないとき、そのような思考は起きない。
(ただ、「○○を信じれば、病気が治る」といった、
別の思考ゲームにハマれば別だが)


そして、もし、「生きる」のに必要でないなら、
それは重要な事ではないのだ。




思考ゲームは悪ではない。

むしろ、心にゆとりがある時に生まれる。

だから、感謝と喜びをもって、このゆとりを見るのであれば、
思考ゲームは、祝福ですらある。

ただ、ゲームはゲームであり、
これを、第一にするのは愚かということだ。


大いなる主(あるじ)が、
私たちに与えた命(めい)は、「生きること」
ただ、それだけである。


だとすれば、私たちは、
いったい、いま何を第一にすべきなのか。



宝石のために、他者の命を奪うことが出来るとすれば、
宝石が、命よりも大切だからに違いない。

お金や宗教のために、戦争ができるなら、
富や思想が、命よりも大切なのだろう。

安価な肉や卵のために、
劣悪な環境に動物たちを留め置けるならば、
そして、「せめて、生きている間だけは快適な暮らしを」などと
思えないのであれば、
命よりお金を第一にしているということだ。
大切なのは、安価さであり、
動物たちの生きるクオリティーなど、どうでもいいのだ。



私たちは、すでに十分な技術と力を持っている。
自他ともに十分に「生き、活かす」技術を。

だた、しかし、その力は、
ダイヤモンドと信じる他のもののために
費やされている。

富、信仰、思考や概念といったものへ。

でも、もし、大いなる主(あるじ)のように、
優先すべきものが、何か分かれば、
一瞬にして、この世界は天国になるに違いない。
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「私」という苦しみ
さて、これは私だけでないと思うのですが…。

子供のころ、
なんで私は「私」なんだろうと思っていました。

たとえば、よっし~という存在がいて、
今と全く同じ人生を歩んでいるとします。

でも、よっし~は、「私」の意識ではなく、
ほかの「誰か」の意識を持っていたとしたら、
「私」は、どんなにか楽であろうと。

「私」っていったい何?

「私」の人生は、些細なことでも大変なくせに、
「他人」だったら苦しんでいる人がいても、
平気なのは、いったいどうした訳だろう?



仏教は、人生が苦であると説きます。

生老病死の四つの苦と、あと他の四つの苦しみを合わせて、
四苦八苦であると説くのです。

でも、それも…。

生まれるのも、老いるのも、病気も死も、
それ自体が、苦しみなのでは無いでしょう。

実際のところ、「私」に降りかかるから、それが苦しみになるのです。

(家族、知人のものは、「私の」が頭についたときだけ苦しみになります。
「私の友人」だから苦しいといったふうに。)

ということは、「私」が苦しみの元凶なんでしょうね。


私は、前回、taraさんのコメントのお返事を考えていたとき、
途中から、ある事に気づきました。

黒斎さんをある種、
「私」と同一視していた、ということです。

まったくの同一視、というと語弊があるかもしれませんが、
「私」が同意する『黒斎さんの意見』なら、イコール
『私の意見』であると錯覚していたのです。

つまり、私自身の事であるから、弁護せねばならないと
思い込んでいたのです。

でも、考えていて、気がついたのです。

私は、『黒斎さんの意見』ではありません。
なぜ、同意しているということだけで、
黒斎さんの弁護をしなくてはいけないんだろうと。

いや待てよ、それどころか、「私」は「私の意見」ですらも、
無いのかもしれません。

時間とともに移ろい消えてゆく思想など、
いったい私であると言えるのでしょうか。

しかし、「私」はいともたやすく、
私であるものを求め、私という属性をふやし、
私を肥やしていきます。

そして、それを守るため、戦いはじめるのです。

「私」の意見、「私」の国、「私」の信仰。

そんな「私」のために、
いったい、何人の人間が、戦争で死んだことでしょう。
自分と同一視したそれを守るため、命をかけて戦ったのでしょう?

そして、私たちは、他人にもそれを求めています。

だから、有名人が、
自らの子供の失態のために、自分が責任をとったりするのです。

とっくに成人した子供の責任を、親がとるのも変だと気づいているものの、
やはり世間はそれを求めているのです。


私のもの、私の意見、私のお金、私の国、私の子供、私の家族…
わたしの、わたしの…。

大人になるにつれ、「私」と「私のもの」は肥え太り、
比例して、苦しみも増します。

以前、「お金は人をイヤなやつにする?」という
tedのスピーチ番組を取り上げましたが、なるほど、といったところです。

■お金と苦しみ6 ~お金が人を意地悪にする?~■

「私」のモノとともに、苦しみが増えるのなら、、
お金持ちが意地悪になるのも、いたしかたない事かもしれませんね。


~・~・~・~・~


さてさて、スピ系でないのですが
ゆっるーいブログを立ち上げてみました。(^_^;)

まったく人が来ないので、
ハンドメイド初心者ランキングに登録しましたが、
やっぱり来ません。(^_^;)

ためしにちょこっと、私自身がランキングボタンをクリックしたところ、
思いのほか上位になりました。

なんか………。
詐欺してるようで申し訳ありませぬ…汗汗

(それでも、誰も来ないけどね、爆
でも、誰もこないから、自分のクリックだけで上位なんですね。)


もし、よかったら、おいでくださいませ。

ランキングクリックしていただけると、
さらに喜びます。(自作自演しなくてもすむから、笑)

■ガラス細工はじめました♪■

皆さまの拍手クリック、励みになります、有難う♪
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楽しみと依存
台風の影響からか、
関東では、今日は、豪雨がふったり晴れたりの変な天気が続いております。
皆さまのお住まいはいかがでしょうか?
今回は、どの地域にも、被害など出ませんように…。


さて、前回の記事にコメントをいただきました。
taraさん、有難うございます!

訪問者の少ないブログなので、
コメントいただくと、
読者がいる事を実感できますです、笑


また、話はかわりますが、
コメント非表示にされている方のお返事には悩みます。

コメント頂いたのだから、お返事したいと思うものの、
コメント返しされたくなくて、非表示?とも思うので、
非表示希望の方へは、いまのところ、お返事は書かないでおります。

どうかご了承くださいませ。

もちろん、非表示コメントも有り難く読ませていただいております、
本当に感謝です。(*^_^*)


さて、taraさんから、以下のようなコメントをいただきました。

「ところで、”雲黒斎さん”(名前・・・)が「今後、状況的にはいろいろ大変になっていく」と講演で言ったとの事ですが、それ、鵜呑みにされているのでしょうか。
読んでいて、「誰かの言った事を何の疑いもなく信じている」という感じがするのですが。

~中略~

よっしーさんのブログを読んでいて、実は違和感を感じるのが雲黒斎さん関係の記事なんです。
「(悟りを開いているとか何らかの理由で)”自分より優れている”と信じている人の言葉をそのまま鵜呑みにしている」「その人をご自分より”上”に置いてしまっている」という印象があります。 」


そういえば…。

私の中では、黒斎さんは人気ブロガーであり、
で、私は無名の弱小ブロガーであるわけで
黒斎さんを知らずに、ここを読まれているパターンは、
あんまり考えてませんでした。(;´Д`)

つか、しらない人からみたら、雲黒斎…そりゃ、あやしいわな、爆

彼は、スピリチュアルといっても、理詰めの話が多く、怪しくない印象です。
(注:当社比…私の方がずっと怪しいから、笑)

少なくとも、いまのところはそう感じています。
哲学的な、上座(初期)仏教が好きな方にも向いていると感じます。

たいして、前世や天使とか、オーラとかが好きな方は
やや不向きかもしれません。(そういう話はしないから)

黒斎さんに関しては、日々の感じたことを
共感出来るのが好きなんですね。
もちろん、悟り体験などの共有できないものは別ですが。

「そうそう、常々思ってたことだけど、そう表現するのか!」って感じです。

彼の話は、哲学的なので、理屈っぽい私には向いています。
講演会を聞きに来る方も、男性が多い気がします。

また状況が悪くなる、というのは、
地球環境など総合的に考えて、私もそう感じていたので
軽い気持ちで書いちゃったんですよね、ごめんなさい。

黒斎さんは、彼流の言い方の、『気持ち悪い話』 は、
ほとんど言わない人です。

特にネットでは、まず言わないです。
(もっと気持ち悪いことを書いている私から言わせると
講演では、もっとぶっちゃけて欲しいけど、笑)


なので、これは書いちゃった私が悪いです。(>_<)

あと、黒斎さんの話題が多くなる理由として
「講演が安くて近い」んです。

これ、何気に重要(^_^;)

というのも、私に、新しい情報が欲しいという、
がつがつした気持ちが無くなってきちゃったんです。

なので、ある程度の手軽さがないと、講演やワークショップに行く気が起きなくて…。

もちろん、ガンガジだの、エックハルト・トールだのが、
近場で安い講演をやってれば、行きたいです♪

…やってないですけど。(^_^;)

だから、共感できて楽しくて、手軽ということを考えると、
黒斎さんの話が多くなっちゃうんですよね。
(「わかりかけのRadio」も無料だし…(^_^;) )


もっとも、ノンデュアリティスピーカー
(非二元を語る人)ということだけであれば、
大和田菜穂さんの方が、純度が高いと思います。

でも、あの人は宇宙人…いや、人(個人)ですら無いからなぁ。

(あ、けっして、馬鹿にしてる訳じゃないですよ~。
たぶん、大和田菜穂さんの動画を見た方なら分かりますよねっ。)

言っていることが楽しめない。
次元が違うから分からない。

そういう意味で、私は真理を追い求めているんじゃなくて、
楽しめるもの、共感できることを追っかけているだけなんでしょうね…。



さて、このブログでは、
「自分を主体にするのが、
精神世界に歩むのに一番危険のない道である」

書いているつもりでした。

なので、依存や信奉を勧めるように見られる記事は、
まずかったと思います。
もっと誤解のないように書かなきゃ、と強く反省しております。

…しかしながら…
よくよく考えて、考えが一周してきました。

つか、私自身も、いろんなメッセンジャー(と呼ばれる人)の
話を、曲解しつづけてきたじゃん!!

なのに、なぜ他人が自分を曲解するのは許さないのかって。

たとえば、黒斎さんの初期のブログでは、
彼を完全に、二元論のスピリチュアルリーダーだと思い、
「面白いブログだけど、真理ではないな」と軽んじていました。

また、もっと昔、学生のころは、ラムダスの「ビーヒアナウ」や
タデウス・ゴラスの「なまけ者のさとり方」は
役に立たない、つまらない本だと感じていました。

なのに、年を重ねたら、いつのまにか、
超分かりやすい上に好きになっていて、びっくりしたものです。

一番、評価が変わったのがバシャールで、
昔は、そりゃーもー大嫌いでした。

宇宙人ってのもそうだけど(笑)、
地に足のつかない夢想的な感じが、かなり危険に思えたのです。

当時は、バシャール以外、チャネリング本がなかった為に、
チャネリング自体にアレルギーを持ったほどです。

なのに今となっては、共感している訳で…。
人ってわからないものですね、汗汗。


となると、私だって誤解されても仕方ないです(*´з`)ゞテヘッ
思う事は人ぞれぞれですしね~。

なら、この記事も書かなくてもいいじゃん、ってことですけど、
まぁ、お返事書かないのは、それはそれで失礼なので、
書いてみました、えへっ(^_^;)ゞ

また、共感や楽しみも、それが極端になれば依存に変化するので
そういう意味で、taraさんのいう事にも一理あります。



ちなみに、依存についての過去記事、探してみました~↓

■自分で考えるということ■

■依存するか楽しむか。(メソッドについて)■


いつも読んでくれる皆さま、有難うございますー、
それでは(^◇^)/
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